カルチャースタディーズ概要
主要実績
発行資料
主宰者経歴
主な著書
culturestudies : diary
culturestudies : consumption
culturestudies : design marketing
culturestudies : youth
culturestudies : baby boomers
culturestudies : city
culturestudies : city
 
Tokyo Street File

What is culturestudies?

youth003 増殖するかまやつ女

あらゆる「らしさ」の崩壊のあとに、自分らしさ教の最高の到達点としての「かまやつ主義」が台頭する!!

最近、原宿や下北沢でみかける、帽子をかぶった女子。古くさい、おじさんみたいな帽子で、髪型ももっさりしていて、服装は楽ちん風。まるでかまやつひろしのような風貌が特徴だ。そこでカルチャースタディーズ研究所では、こうしたファッションの女子を「かまやつ女」と名付け、街頭でインタビュー。その結果から、カルチャースタディーズ独自のファッション社会学分析を行った。

今夏の流行分析!!


調査概要

調査日:2003年7月24日(木曜日) 午後
調査地点:原宿 代官山
調査方法:街頭でのインタビュー
調査担当:須藤由香 永山優貴



かまやつ女のカリスマ 土屋アンナ

調査結果
調査対象数:9名
年齢:18〜21歳
職業:大学生3名 専門学校生4名 美容師2名
親の年齢:父親は51〜52歳が5名。母親は46〜48歳が5名
居住地:横浜市2名、高崎市、相模原市、世田谷区、市川市、栃木県塩谷郡、千葉市、八潮市 各1名

インタビュー質問項目
<フェースシート>
● 年齢  歳     親の年齢 父   母    
● 居住地       都道府県    市区      線     駅
● 親と同居かどうか
● 職業                 (アルバイト先       )
● 収入          円/月
●月にファッションにかける金額    約          円
● よく読む雑誌                              
● おしゃれの参考にしている物、人                     
● 好きなブランド、ショップ                        
● よく行くお店(インテリアやカフェなど)                  
● よく行く美容室                            
● よく行く街                              
● 趣味                                  
● マイブーム                               
● 好きなミュージシャン                          

<パートナーについて>
● 彼氏の有無           有        無
● 居る歴・居ない歴        年     ヶ月
● 彼氏の年齢・職業                        

<今日のファッションについて>
● 今日着ている(持っている)アイテム全ての購入場所・ショップ・ブランド・
● 今日のファッションのどういう所がお気に入りですか?
● ファッションのポリシーやルールがあったら聞かせて下さい。
● ファッションで男性の目を気にしますか
● 勝負服(下着、メイク)などはありますか。今日の服(メイク)との違いは?

<メイク・スキンケアについて>
● スキンケア、メイク、ヘアへにこだわりはありますか? 有り・無し
有りとお答えの方、どんな?                    
無しとお答えの方、なぜ?                     
● 月にスキンケア・メイク・ヘアにかける金額          円
● 主な購入場所                                
● お気に入りのコスメ                          
● メイクにかける時間               分
● メイクは、男性の目を意識しますか?
● 今、欲しいもの(服に限らず)

<人生観について>
● 目標の人物、憧れの人物
● 将来の夢

インタビュー例

 

分析
全国平均より少し下の階層出身者か?
かまやつ女達がよく出没するのは、原宿、下北沢、吉祥寺といった街だ。それと、代官山にも少しいる。ただし代官山は少しオトナの街なので、あまり居心地が良くないのか、原宿や下北沢の方が数多く観察できるようだ。もっと言えば、原宿の方が、安くてごちゃごちゃした物を置いた店が多く、対する代官山はインポート物やシンプルで高価な物が多い。彼女たちは圧倒的に前者を好むようだ。ちなみに、代官山でインタビューした「かまやつ女」は、eau cafe周辺のごちゃっとした店が立ち並ぶエリアで捕まえた。アドレスやラ・フェンテの表玄関が並ぶ八幡通り沿いでは、ほとんど見つけられなかった。
年齢は18−21歳、職業は大学生3名 専門学校生4名 美容師2名なので、教育階層的には平均よりやや下かもしれない。居住地は横浜市2名のほか、世田谷区、相模原市、千葉市、千葉県市川市、埼玉県八潮市、栃木県塩谷郡、群馬県高崎市が各1名となっており、関東一円から集まっていることがわかる。したがって、特に都会的でも何でもない、日本全国の平均中の平均より、もしかして少し下の階層の出身者であると言える。
親の年齢は、父は51〜52歳が5名、母は46〜48歳が5名。つまり父は1952〜53年生まれ。母は1955〜57年生まれと、団塊世代よりも若い両親から生まれている。父はポスト団塊世代だが、母はポスト団塊世代でもなければ新人類世代でもない。谷間世代というにも中途半端な独特の世代だ。57〜58年生まれなら新人類世代の先駆け的な要素もあると言えるが、55〜57年だと、そうとも言い難い。一体若いときにどんなファッションをしていたのかと想像がしにくい世代だ。まあ、ミッション系ならいち早くクリスタル族女子大生になっていたはずだが、今回のサンプルから推測される親はおそらく大卒ではない。だからクリスタル族とは無縁であろう。一体どういうファッションテイストの親なのか、親のインタビューをもしてみたくなる。


すれすれの微妙なファッションセンス
 彼女たちのファッションは、こだわりのインポートよりも、古着や安価な小物を上手に使う等身大のおしゃれという所か。よく観察してみると、男っぽいファッションに女らしさをプラスするミックス感覚に気付く。
具体的には、女性のボディラインを隠すダブダブのトップスと、パンツ+スニーカーのようなユニセックスなアイテムに、光りモノやリボン、マクラメといった、女らしいアイテムをプラスしている。どこかではずす。抜けを作る。上から下まで1トーンでキメた感じは、彼女らにとっては格好悪いようだ。あの格好は色気がない、男の目をまったく気にしていないに違いない、と思いがちだが、アクセサリーや小物使いで、かわいさ、セクシーさをプラスしているようだ。その微妙なセンスが彼女たちの中では非常に重要らしい。
 また、帽子+ダブダブのトップス+ジーンズ+スニーカー+ぶらさがりアクセサリーというのは、同年代の男子の間でも流行っているらしく、遠くから見ると、男女の区別がつかなかった。かまやつファッションは、ユニセックス。こんな所で男女のファッションのボーダーレス化が進んでいるのだ。
しかし、もし本当にこうしたかまやつ的なファッションをうまく着こなすことが、おしゃれのセンスを測る基準だとしたら、彼女たちのセンスはものすご高くて、おじさん的にはまったく理解できないほどである。それくらい微妙で、すれすれだ。

楽であることが自分らしい
また、インタビューで出てくるのは「楽」という言葉。そしてやはり「自分らしさ」。もしかすると「楽」=「自分らしさ」なのだろう。
かつてファッションは男らしさ、女らしさを強調するものであった。ファッションのモチーフは軍服、僧服、民族服にあると言われるが、それぞれが軍人らしさ、僧侶らしさ、そして特定の民族らしさを示すものであった。
しかし1960年代後半、ジーンズ革命とヒッピームーブメントがやってきた。これによって、既存の「男らしさ」「女らしさ」を示すファッションは差別として否定されはじめ、崩壊していった。今回のインタビューでもファッションや化粧で男性の目を意識するという声は少ないし、目を意識する場合でも、今のファッションや化粧を変えるというところまでは考えていないことが明らかだ。
1970年代以降、ファッションに限らず、「らしい」ことはかっこわるいことになった。サラリーマンなのにサラリーマンらしくない、40代なのに40代に見えない、母親なのに母親に見えない、そういう「らしくない」ことが価値を持つようになった。
もちろんバブル時代のボディコンのように、女らしさを過剰にアピールするファッションもあった。が、どうもその後の方向性としては、そうした「らしさ」は旗色が悪い。外見的には、どちらかといえば、女性の男性化が進んだと言える。女性でもスカートを余りはかなくなり、色は黒を多用するようになった。ジーパンの上にスカートをはくという、何とも言えぬファッションも、考えてみれば、男性性と女性性の微妙なミックスだと言える。
 「自分らしさ」とは、既存の「らしさ」の崩壊のあとに残った最後の「らしさ」である。実際現代の若者の多くは親から、自分らしくあれ、人間らしくあれと言われて育った。男らしくとか、女らしくとは、あまり言われなかった。
しかし文化というのは「型」である。「らしさ」である。だから、「らしさ」を否定すれば、文化は消える。少なくともそれまであった文化は消える。男性文化も女性文化も学生文化もOL文化も消える、あるいは薄まる。ひいては、山の手文化も、昭和文化も、大正教養主義文化、封建文化も、家父長制的文化も消えるであろう。なるほどこれは革命的だ。

既存の「らしさ」の崩壊
では「らしさ」の否定のあとの何が来たか。みんな人間らしく、自分らしくなったのか、というと、少し疑問である。電車のシルバーシートで口を開けて寝ている若い女性は、女らしくない、と私は思う。が、それは人間らしいのか、自分らしいのか。同様に、電車の中でがに股で座る女子高生は人間らしいのか? センター街に座り込んで、マックを食べる女子高生は自分らしいのか? すぐに疲れたといって地べたに座り込む男は男らしくはないと私は思うが、それは人間らしいのか? 私にはそれらはすべて人間らしい行為には見えない。それらはただ「楽」を求めているだけで、「猿らしい」行為だ。人間から文化を取れば猿になるしかない。いや、猿だって、もう少し秩序のある文化を持っているだろう。しかし、文化のあるおじさんと、文化のない猿ならば、私は文化のあるおじさんでありたいと思う。
話がそれたが、あらゆる「らしさ」の崩壊の果てに残ったのが「自分らしさ」であり、それが「楽」であることとほぼ同じ意味であることは、どうもたしかだ。
しかしそれは積極的な「らしさ」ではなく、「他の何らしくもない」という否定形でしか定義できないものでしかないように思える。「他の何らしくもない」ないことは、たしかに「楽」であろう。「自分らしく」生きることを突き詰めれば、結局、何からも拘束されない「楽」の追求に至るのである。
そういう意味では、自分らしさを表すファッションが今はかまやつ風だからといって、来年もそうだとは限らない。男らしくもなく、女らしくもない、ただ楽であることが条件であるようなものであれば、もっといろいろな形のファッションが流行しうるであろう。
 「自分らしい」ことの「楽」を求めれば、おのずと職業意識は低下する。特定の職業に就くことは必然的に「らしさ」を生むからだ。職人らしいとか、教師らしいとか、銀行員らしいとかだ。が、そういう「らしさ」も否定すれば、職業に就くこと、長期間同じ職業を継続すること自体も否定される可能性は高い。
本来自分らしさとは、他の「らしさ」の上に乗るものであろう。たとえば、寿司屋らしさの上に、自分らしさが乗るのだ。同じ寿司屋でも、三浦という寿司屋と佐藤という寿司屋では味も雰囲気も異なるようになる。まず寿司屋らしさが板についてから、自分の個性が発揮されていくのだ。
ところが現代の若者は、まず自分らしさがあって、その上に寿司屋らしさを乗せようとする。まあ、それでもうまい寿司が握れればいいのだが、はたしてどうなるのか、心配になる。かまやつファッションを見ていると、そういうところにまで想いが及ぶ。たかがファッションから、そこまで考えるのが三浦らしさだ。

ガングロとの共通性=階層格差の時代
1999年から2001年にかけて大流行したガングロ、ヤマンバファッションは、その後なりを潜めていたが、今年はまたどうも復活しているようだ。渋谷あたりには日焼けサロンで肌を焼き、目の回りを白く塗ったヤマンバさまたちが、ふたたび跳梁跋扈、山手線のホームで着替えるヤマンバ女子高生も私は目撃した。
ガングロファッションの心理的背景には、拙著「マイホームレス・チャイルド」にも書いたように、階層上昇志向の消滅があるというのが私の解釈だ。つまり、下町のねえちゃん、田舎のいも姉ちゃんでも、服装、化粧次第で山の手のお嬢さんに見えるようなファッションを志向した時代ではなくなったということである。
1950年代のファッションは、ディオールファッションなどに典型的なように、あきらかに山の手のお嬢様、奥様志向であった。こうした志向性は60年代以降次第に崩れ始めたが、それでもバブル時代までは、まだなんとか生き延びていた。80年代にはお嬢様ブームもあった。
しかし90年代以降、特にこの数年、若い女性のファッションに、いいとこのお嬢さんに見えたいという志向性を感じることはほとんどなくなった。むしろ自分が所属する階層をそのまま肯定するのだ。中の下の階層に属していても、中の上に見せようとは思わず、むしろ中の下であることですら露悪的といってもよいやり方で強調する、そういうファッションでかまわなくなった。そういう価値観の変化をガングロ、ヤマンバは表わしている。だから、言い方を換えれば、ガングロは階層格差拡大の時代の前触れなのである。
90年代以降、若者のファッションから、上昇志向、山の手志向が消えたのは、新人類世代が若者市場から退場したからだ。新人類世代は1960年代生まれの世代であり、イコール中流社会の拡大期に生まれ育った。中の下の階層の人々が頑張って、中の中になれるという期待が新人類世代の中にある。だからファッションは山の手モデルを志向する。「JJ」「CLASSY」「VERY」「STORY」というランクアップ型雑誌に典型的に見られるように、より高い生活水準を実現していくのが新人類世代であり、したがってファッションやライフスタイルも山の手中産階級家庭がモデルとなる。
ところが中流化がピークに達した1973年以降に生まれた世代にとっては、中流は目指すべき対象ではなく、すでにある状態でしかない。このことは内閣府の「国民生活に関する世論調査」に世代を重ね合わせると明らかだ。1973年以降に生まれた真性団塊ジュニア世代が若者市場に参入し始めた1990年代以降、山の手お嬢様的なファッションやライフスタイルは若者のモデルではなくなったのだ。


資料:内閣府「国民生活に関する世論調査」に三浦展が加筆。

消費することへの無意識さ
さて、インタビュー結果を見て、もう一つ気になった点は、「よく行くカフェ、お店、ブランド」を訊ねても、特定の店があまり出てこなかったという点である。自分の家の車の車種名もメーカーもわからないのが今の若者だから、当然といえば当然だが、自分の身に付けるもので、かつ自分で買ったものなのだから、もう少しは覚えていてもいいはずだ。私が1980年代に「アクロス」で行っていた定点観測におけるインタビューの経験でも、当時の若者は驚くほど自分の持ち物、衣服について、それをどこでいくらで買ったかを覚えていた。
しかし、最近の若者は全然違う。なぜか。
まず、店の名前を覚えるほどの店で買っていないということもあるだろう。
第二に、今はいちいち店の名前を覚えて通うような時代ではないのかもしれない。彼らは新人類のように、特定のブランドが好きになるとか、特定のジャンルに縛られる、ということがないのだろう。
第三に、これは上記2つの理由の背景にあることだが、物が溢れすぎているという状況。物が不足していれば、それをどこで手に入れられるかは貴重な情報になる。実際に手に入れれば、それをどこでどうやっていくらで入手したかを忘れることはない。山に住む農民が松茸のとれる場所を誰にも知らせないのと同じだ。新人類世代が若かった頃はそうだった。ブランド物がどんな田舎でも手に入る時代ではなかった。パルコにすらルイ・ヴィトンの店はなかったのだ。DCブランドも丸井が積極的に導入するまではパルコやラフォーレにしかなかった。
しかし今はたいていの物が日本中で手に入る。栃木でも群馬でもどこでも、ロードサイトのショッピングセンターには最新のファッションが揃っている時代なのだ。最近の若者は、自分の買った物をどこで買ったかを説明するのに、よく「そこらへんで買った」というのが、まさにたいていのファッションはそこらへんで買えるようになったのだ。パルコでとか、丸井でとか、ラフォーレでとか考える必要がなくなったのである。大宮の駅前の何とかっていうビルの、どこかで買ったという程度にしか覚えられないし、覚える必要がないのだ。
 かくのごとく、現代の若者は消費に対して無頓着であり、無意識である。消費することは、物や店や街の情報の収集であり編集であるという考え方は、すでに古くなっているのかも知れない。

モデルなきファッション?
また、私の事務所でバイトをしている24歳の男性から見ても、彼女たち、および同種の格好をしている男性の気持ちがわからないという。
私のところでバイトをしている男性のファッションは、いわゆるヒップホップ系、あるいはDJ風のファッションである。それにはニューヨークの黒人のだれそれというモデルがある。彼らはそのモデルを参考にして、服を買い、音楽を聴き、オーディオを揃えようとする。しかしかまやつファッションにはそういう強いモデルがない。ファッションの背景にあるライフスタイル、価値観が見えないというのだ。
 もちろんどんなファッションにもモデルがあり背景がある。無意識であれ、なんらかの価値観を反映している。それをこれまで私なりに推測してきた。実際、かまやつファッションをする女子たちのモデルは雑誌だったりする。なんだ所詮「ノンノ」のモデルが好きなのか、その程度の自分らしさかと思うと、なんだか安心する(ただし「ノンノ」などのモデルはもちろんやせているが、現実のかまやつは太り気味が多い)。
でもそれは帽子や衣服のモデルであって、かまやつファッション自体の価値観を表わすモデルではない。一体かまやつファッションのモデルは何なのか? 加藤茶か? フーテンの寅さんか? あるいは本当にかまやつひろしか? 彼女たちのお父さんやお母さんがかまやつひろし作詞作曲で吉田拓郎が歌った「わがよき友よ」を毎日彼女たちに聴かせたら、ああいう女子に育ったのか?(まさかね) はたまたピチカート・ファイブの小西康陽がムッシュをリスぺクトしていることが影響したのか?(これも彼女たちの音楽志向からいってあまり考えにくい) 実はパリかミラノのどこかで流行っているのか?(違うよね) 一体何なのか??? この疑問を突き詰めると答えが見つからずに不安にすらなる。
実際今回インタビュー調査をしてくれた1971年生まれの担当者女性も「いつもインタビュイーの気持ちに、ある程度共感したり納得・理解できていたのに、今回は本当にそれができなかった…。あー私には若い人の気持ちがわからない、この人達と私は全然違う、という自覚を新たにしました」というメールを私にくれた。それくらいこのかまやつファッションは「革命的」だ。革命的に背景が見えない。
かくのごとく、かまやつファッションの背景にある価値観は、ほんの少し年上の世代にとっても、あまりに希薄に見える。いや、背景が見えないのだ。「自分らしさ」しかないからだ。しかしその「自分らしさ」は、いわゆる個性とか、主張といった「濃さ」がない。濃い自分を持っている人のファッションではないのだ。希薄な自分が、その希薄さをセンスのある「自分らしさ」として肯定している、それがかまやつファッションだ。
希薄というのが言い過ぎならば、たゆたう感じ、いつもふわーっと現れては消える感じ。でも一定の印象をあとに残す感じ。。。沢田研二でもショーケンでも堺正章でも井上順でもない、まさにかまやつひろしの存在の仕方なのである。
 

インタビューの詳細はレポートをご購入ください。

企画、調査、制作、発行:

カルチャースタディーズ研究所
発行日:2003年9月20日
価格:5,000円(本体価格)
A4判 オールカラー 簡易製本 26p

問い合わせ先

カルチャースタディーズ研究所
三浦 展

〒180-0004東京都武蔵野市吉祥寺本町2-26-5岩崎ビル201
電話・ファクス:0422-23-7871
電子メール:miura@culturestudies.com

お申し込みは下記事項を明記の上、上記電子メールアドレスへお送りください。資料ができましたら、請求書と共に郵送いたします。


住所:
会社名:
部署名:
氏名:
電話番号:
電子メールアドレス:

youth メニューへ戻る