■ウォークマン

携帯される時空間−−欲望常時充足社会の増幅メディア

三浦 展

 ウォークマンは1979年、ソニーから発売された。しかしそれはカセットテープを再生できるが録音できないという奇妙な代物であり、当初はソニー内でも、そんな中途半端なものは売れないという声もあったが、現代の若者は「音楽なしでは生きてゆけない、寝ているときも起きてるときも音楽が必要なんだ」、彼らはウォークマンをきっと買うという盛田昭夫の判断から発売に踏み切った。(1)
 果たしてウォークマンは発売当初から超人気商品となった。いつでも、どこでも、自分の好きな音楽(でなくてもいいが)が聴けるウォークマンは、日本のみならず世界中の市場に普及し、5年間で生産累計1000万台、8年間で3000万台、10年間で5000万台を達成。80年代末には、Walkmanという単語はイギリスの『Oxford English Dictionary』やフランスの『Petit e Larousse』にも掲載されるほどになった。今日では、たとえばオリンピックなどで、競技前の選手が精神集中のためにウォークマンを聴いている光景をよく目にする。もはやウォークマンは世界中の人々の日用品になったのであり、「世界商品」になったのである。(2)
 しかし、あらゆる新奇な商品がそうであるように、ウォークマンも発売当初から社会の非難の的になった。代表的な批判は、ヘッドホンからの音漏れがうるさいというものと、自閉症になるというもの。音漏れは技術によって減少したが、自閉症との相関は不明である。だが、何らかの精神的な影響がないとは思えない。特に近年は、携帯電話、コンピュータなどの分野を中心に類似の携帯商品が増加しており、今後もさらにそうした商品が増加していくことが予想される中で、「携帯」という行動の社会的・文化的意味を問い直す必要が生じているように思われる。
 たとえば、トヨタが1999年に発売したクルマ「ファンカーゴ」のコンセプトは「携帯空間」という。これは非常に画期的なコンセプトである。まさに「あらかじめウォークマンがあった」世代の価値観をうまくとらえている。しかし、「携帯空間」とは一体何だろうか?
 私は現在の消費・モノ・空間への価値観の変化を考える上で、「家(家族・家庭)→個(個人・個室)→街(ストリート・仲間・携帯)」という流れを理解することが重要だと日頃から考えている。ウォークマンはもちろん、電話、コンピュータ、食品など、様々なものがストリートでの携帯を前提にしてつくられるようになり、実際にヒットしているが、それらは、家庭を単位 とした消費の対象ではなく、個人を単位とした消費の対象であり、しかも、その個人のいる空間が家の中ではなく街の中であるという前提からスタートしているのである。
 クルマは最初から街を走るためのものじゃないかといわれそうだが、1970年代までは家庭としてクルマを所有することに大きな意味があった。だから家庭の生活水準が上がれば、クルマもより大きく高級なものに買い換えた。クルマは家型商品だったのだ。しかし80年代、クルマは若者の個人用の商品になった。そしてついに、自分の個室空間を街に携帯していくというコンセプトのクルマが出てきたのである。これは、クルマが自己拡張のためのツールではなくなったということでもある。
 かつての、消費に自己拡張感を求める消費者は、前述したように、自分の収入が上がったり、役職に就いたりすると、クルマもだんだん大きく高級なものに乗り換えていく、あるいは、BMWに乗ったヤングエグゼクティブといった役割イメージを演じていく傾向が強かった。しかしファンカーゴ、キューブ、ワゴンRなどの最近の若者向けのクルマには、そういう自己拡張感はない。むしろ今ある自分の生活や空間をそのまま肯定するクルマが人気がある。自分をクルマに合わせるのではなく、自分にあったクルマを選ぶ。あたかTシャツを着るように、無理せず、今の自分のままで乗れる車が好まれる。クルマの中に、もともとあった自分の気持ちのいい空間をそのまま持ち込みたいと考える。まさに自己空間を携帯したいのである。
 この自己空間携帯願望こそがウォークマンが生み出した独特の願望ではないか。それは、たしかに、ある意味では自閉であり、自分の空間への「ひきこもり」であり、現代の若者に見られるとも通 底しているだろう。いつでも、どこでも、好きな音楽を聴くことを可能にしたウォークマンは、人々の欲望を時間的・空間的束縛から解放したのであり、音楽を聴くだけでなく、あらゆる種類の欲望・願望−−食欲、性欲、睡眠欲、コミュニケーション願望、さらには殺人願望、自殺願望等々−−を時間的・空間的束縛なしに即座に充足したいという「メガ欲望」を増幅させたのだ。裏を返せば、物理的には学校にいても会社にいても家にいても街にいても、心理的には自分の時間と空間の中に引きこもって自分の欲望を満たすことにしか関心がない、「仲間以外はみな風景」(宮台真司)にしか見えないような人間を増殖させたのではないだろうか。

●注
(1)黒木靖夫『ウォークマン流企画術』筑摩書房、1987
(2)三浦展・松井和哉「ウォークマン=世界商品論」『アクロス』1989年9月号、PARCO出版

●参考資料
モノ・マガジン特別編集『20th Aniversary 1979-1999 WALKMAN YEARBOOK』ワールドフォトプレス、
1999 細川周平『ウォークマンの修辞学』朝日出版社