■日本の若者は荘子である?

●マイ・ベスト・ライフ
 もはや日本の若者は経済的な豊かさにあまり意味を感じない。まずこの点を欲認識しなくてはならない。彼らは生まれたときからすでに社会が豊かだった。生活の中に物が溢れていた。だから彼らにとって豊かさは求めるべき価値でも、将来の目標でも、未来の理想でもないのである。
 団塊世代までの世代の生活ポリシーはグッド・ライフ志向だった。グッド・ライフとは、1950年代のアメリカの豊かな生活のイメージを表す言葉である。高度成長期前夜、日本人は皆、アメリカのように物質的に豊かになりたいと思った。その願望が、高度成長を推進した原動力であった。
 グッド・ライフがほぼ実現された1970年代に少年だった新人類世代が80年代以降若者になり大人になると、ベター・ライフ志向が強まった。つまり、ワンランク上を目指すということである。物質の量 としては、ほぼ満足できる生活が実現したので、もっと質の高い物が欲しいという価値観である。そしてその価値観はヨーロッパの高級ブランド志向として現れたのである。
 ところが、新人類世代よりもさらに15歳くらい若い今の若者になると、アメリカ的生活とかヨーロッパのブランドのようなわかりやすい豊かさの基準では自分の幸福を計れなくなり、自分にとっての最適なもの、ベストなものを求める価値観が強まった。それを私は“マイ・ベスト・ライフ志向”あるいは”自己最適化志向”と名付けている。
 “ザ・ベスト・ライフ”という絶対的なものはない。あくまで”私の”“マイ・ベスト・ライフ”――私にとって一番いいのは何か、一番快適なことは何か、自分らしいのは何か、ということを重視する価値観に変わったのである。

●最後の未開拓の市場は「自分」
 しかし、自分らしいもの、自分にとって最適なものを見つけるのも実は難しい。だから、若者は高級ブランドや裏原宿や代官山の特別 なブランド、あるいはユニクロのように誰もが良いと認める商品を買うことで、自分らしさもまた表現できていると信じようとする。
 逆に、その他の多くの商品は、自分らしくもなければ、特別な物でもなく、また誰もが良いと思う物でもない中途半端な物だから、あえてお金を出して買うほどの物には思えない。そこに消費不況の根本原因のひとつがある。
 しかし、こうして自分らしさを求めれば求めるほど、実は自分に「自分らしさ」なんてあるのかどうか疑わしくなる。自分らしくありたいと思っても、自分らしさが何かわからなくなるのだ。
 はたして自分らしさとは何か? それに答えるために「自分探し」が始まる。その意味で、世界中の物が溢れている現代の日本において、まだ開拓されていない未知の市場があるとすれば、それは「自分」だ、というのが私の現状認識である。そして若者は、その未知の「自分市場」の最先端にいる。  

●豊かな社会は、やりたいことがわからない若者を増やす
 若者のフリーターは現在150万人いると言われている。その理由には、不況による就職難もあるが、フリーターがバブル時代にも増えていたことを考えると、不況だけを原因とは言えない。バブル時代は、バイトだけでも生きていけるという若者増えたからフリーターが増えたと言われた。経済的な理由だけでフリーターの増加は説明できないのだ。
 一貫しているのは、やはり、やりたい仕事がわからない若者が増えたということであろう。今の若者は、仕事を通 じても自分らしさを感じたいと思っている。逆に言えば、たとえお金がたくさんもらえても、自分らしさを疎外する仕事は我慢ができないという価値観の若者が増えている。
 もちろん昔の若者も嫌な仕事はあったが、生活が貧しかったからつらい仕事にも耐えなければならなかった。やりたいことを見つけなければならないという考え方もあまりなかった。飢餓と貧困からの脱出という目標が労働の意味を根本から規定していたので、働く意味は明白であり、やりたい仕事を選ぶとか、自分らしい仕事がしたいなどと考える余裕はなかったのだ。
 やりたいことを見つけようとふらふらできたのは少数のアッパーミドルクラスのおぼっちゃまだけだった。それが80年代以降、日本が豊かな社会になると、おぼっちゃまでなくても、誰でも、お金のためだけではなく、自分がやりたいことをするために、自己実現のために働くことができる時代が来た。
 しかしあまりに突然そういう時代が来たために、やりたいことがわからないといって悩み始めた。若者は自分がやりたいことを考える教育なんて受けていない。職業教育なんて誰もしてこなかったわけだし、成績順に学校をランキングして子どもをそこに押し込んできただけだ。そういう社会なのだから、やりたいことがわからない若者が増えるのは当然だ。  

●日本の若者は荘子である!?
 私の教えた大学院の学生に中国からの留学生の女性がいて、彼女が面白いことを言ったことがある。
 「日本の若者は素晴らしい。生きるため、食べるために働かない。いつも何のために生きるのか、働くのかを考えている。それは荘子の思想のようだ。」
 彼女は皮肉を言っているのではない。多くの人々が富を求めてあくせくと働き、貧富の格差が拡大している現在の中国から見れば、ただ食べるため、豊かになるために働くことに意味を見いだせず、自己実現や自分探しをしている日本の若者の生き方は一種の理想なのだ。そう思えば、現代の日本の若者にも何らかの可能性があるかも知れないと思えてくる。  

●求められる柔軟なシステム
 これまでの教育は、とにかく多くの子どもを高校や大学に入れることだけを目的としていたために、子どもひとりひとりが自分らしく生きる、自分で納得して生きるために何をすべきかを考える余裕がなかった。しかし子どもの方は、自分らしく生きることを重視する価値観を強めていたために、学校がうまく機能しなくなった。会社も同様だ。
 理想を言えば、個人がやりたいことを見つける教育をして、見つけたらすぐに高校でも大学でも中退して会社にはいるか、ビル・ゲイツのように会社を作るか、職人の修業をするか、とにかく仕事に就く。3年やって、どうも間違いだったと思えば学校に戻る。あるいは仕事をしていくなかで必要な勉強に気が付いたら、また学校に戻る、そういう柔軟なシステムが求められよう。
 生涯教育という言葉には、子育て後や定年後の中高年のための教育というイメージがあるが、本来は、義務教育時から死ぬ まで、いつでも自分の必要に応じて自由に学習できるというのが真に必要とされる生涯教育であろう。
 そういうシステムがないから、ところてん式に学校を卒業した若者が、やりたいこともわからぬ まま社会にさまよう。それが現在のフリーターの問題点であろう。  私はさまようことが悪いといっているのではない。しかし20歳前後で社会に出た時点で、自分のやりたいことが皆目わからず、30歳を過ぎたくらいでようやくそれが見つかるというのでは、時間があまりにもったいないと思う。やはりどうしても若いときでないと吸収できないことがあるからだ。
 どうせさまようなら、もっと早い時期にさまよってもらい、20歳の時には、自分のやりたいことが見つかっているという方が良いと思うのだ。
 会社も同様で、新入社員を「洗脳」して従順な会社人間にするという古いやり方では通 用しない。やりたいことをやらせて、結果が出なければ責任をとらせるというやり方の方がいいのである。