■少年犯罪と土建行政

11 総郊外化し「ファスト風土」化する日本〜なぜ地方の少年が荒れるのか?

初出;プシコ2001年1月号

日本は、田園都市の名のもとに『明日の田園都市』から受け継いだ他の概念を口実にして行われたさまざまな建設が、ハワードの理想とはもっともかけ離れてしまった国のひとつである。
−−オギュスタン・ベルク『都市のコスモロジー』

地方の変貌

 私の出身は新潟県上越市である。30年ほど前に高田市と直江津市が合併してできた人口12,3万人の小都市だ。高田市は平野部では日本最高の豪雪地帯である。最近は温暖化のためか、あまり雪が降らないが、30年前なら、積雪が2〜3mになるのが普通 だった。過去30年間ずっと人口が変わらないが、その内実は、私のように東京に出る者がいる代わりに、過疎地から人口が流入してくるというものである。
 さて、合併した上越市は、高田市と直江津市の中間地点に市役所を統合移転した。そこは当時はまわりがほとんど田圃であったが、国道に近いため、その後どんどん発展し、宅地化が進み、ニュータウンができ、ロードサイドには多くの店ができ、大手の大型スーパーも出店した。人々はマイカーで移動するようになり、古い中心市街地ではなく、郊外の店で買い物をするようになり、また、郊外の店や工場で働くようになった。
 さらに95年には、新しくできた北陸自動車道のインターチェンジ付近の田圃の真ん中に、当時、敷地面 積で日本最大のパワーセンターが誕生し、全国的に話題になった。客を取られた大手スーパーはパワーセンターと同じ道沿いに店を移転して反撃を開始。近隣には各種のロードサイド店が進出し、さらに郊外的な風景が拡大している。田圃の真ん中を縦貫する道路は、真新しく美しい。みなマイカーで移動するから歩行者などいないのだが、なぜか歩道が広く、きれいにカラー舗装されている。街路樹もある。そして、人口が減少するばかりの過疎地には、バブル時代にゴルフ場やリゾート施設が建設された。
 私の実家は1963年にできた住宅地で、当時の地方小都市なりの郊外であった。しかし玄関を開ければ田畑が広がり、冬になれば道は除雪もされなかったため、雪が降った朝はカンジキを履いて細い道を造り、高さ2mの雪の上を用心しながら歩かなければならなかった。そんな状態は私が大学進学で東京に出た77年まで続いていた。
 それが、80年代に入ると、新しい道路がどんどんできた。田圃の畦道がすべて道路になったと言っても過言ではない。鉄道も、上越新幹線、長野新幹線などが次々と完成し、東京が近くなった。

 だが、そうした道路や鉄道の整備による都市化あるいは郊外化が、人々に利便性以外に何をもたらしたかが真剣に問われなければならない。バブルの時代、越後湯沢がスキーと温泉のあるリゾートして開発されたとき、私は、これはえらいことになったなと思った。上越新幹線や関越自動車道によって東京から客が押し寄せれば、純朴で不器用な新潟県人の心が必ず壊れるだろうと思った。東京の不動産屋に土地を売った大人は金にまみれるだろう。スキーに来た若者は、夜にはホテルで酒を飲み、カラオケで歌い、ディスコで踊り、セックスするだろう。そういう大都会の拝金主義と爛熟した消費文化が突然大量 に流入すれば、どうなるか。ホテルやスキー場で働く者の中には、地元の中学や高校を卒業したばかりの若者もいるだろう。そういう若者が突然消費文化に大量 に触れれば、どうなるか。事態は見えていた。
 かつては6mもの深い雪に閉ざされていた山村の中学や高校で授業が成り立たなくなった。上越市郊外の中学生がいじめで自殺するという事件も起きた。上越市では前代未聞のことであった。新潟県全体でも80年代以降不登校が急増した。まったく私の育った時代とは違ってしまったのだ。

 私事を長々と書いたのは、他でもない。こうした現象が、私の出身地だけでなく、多かれ少なかれ日本中の地方で起こったと思うからである。そして、その地方の変化が、本論のテーマである少年犯罪の増加と密接に結びついていると思うからである。  少年の犯罪や問題行動については、その原因が家庭や教育に求められがちである。近年は精神病理学的分析がなされることも多いが、そうした視点では、事件の原因が個人的な資質に還元される。しかも最近は脳の障害に起因するという分析すらなされ始めている。そういう分析も必要だが、しかし私は社会学的立場から大いに疑問を持っている。
  少年問題が心や脳や家庭や教育の問題として分析される限り、これらの事件への対策はスクールカウンセラーなどの対処療法にのみ頼らざるを得なくなる危険がある。もちろん対処療法は必要だ。が、それだけでは到底十分ではない。少年問題を生む社会というものを、もっと広く、多角的、歴史的、構造的に解明しなければならない。本論はそうした解明に向けてのささやかな試論の序説である。



地方化する少年犯罪

 近年、少年事件が東京圏以外の地方で多く見受けられるという指摘がある。たしかに、思い出す限りでも、神戸市須磨区の酒鬼薔薇聖斗事件、京都市伏見区のてるくはのる事件、愛知県豊川市の老女殺害、名古屋市緑区の5000万円恐喝、佐賀市のバスジャック、大分県大野郡野津町都原の隣家六人殺傷、鳥取県東伯郡の母絞殺、岡山県邑久郡の母親殺害、山口県光市の母子殺害、栃木県黒磯市の女教師ナイフ殺害、栃木県河内郡の少年リンチ殺害、そして栃木県下都賀郡の高校生による歌舞伎町ビデオ店爆破などがある。こうした事件が起こらなければ誰も注目しないような、いつもは「平和で静か」な農村部すらある。
なぜそんな地方で犯罪が起こるのか? いや、そもそも本当にそこは「平和で静か」なのか?
 戦後の少年の刑法犯認知件数は、1960年代前半にピークを迎えたが、その後高度成長期には一貫して減少した。しかし73年の第一次オイルショックの後に増勢に転じ、家庭内暴力、校内暴力が増加するなど、80年代前半に第二のピークを迎えた。その後再び件数は減少したが、近年また件数が増加し、戦後第三の少年犯罪時代といわれている。少年犯罪が増えたのは、戦後の経済・政治の変動期、オイルショック後の社会・産業構造の変動期、そして現在の不況期あるいは産業構造の転換期にあたり、社会の安定的成長が犯罪など社会不安の防止に一定の意味を持っていることを裏付けている。
 これを検察庁の統計「少年被擬事件の罪名別受理人員」に基づき、「傷害」に限って管区別 に見てみよう。すると、戦後第一のピークである1964年は東京の比率は17.6%、大阪が7.6%であり、明らかに大都市中心であった(注1)。
少年犯罪が一旦底となった72年でも、その傾向は変わらない。高度成長期の少年犯罪は大都市型だったのである。
 しかしその後は様相が一変する。84年の第二のピーク時には、東京は13.7%に減り、横浜、千葉、埼玉 の合計で14.2%となり、東京を上回る。これら3地域は東京のベッドタウンとなった地域である。少年犯罪が郊外化したのである。こうした少年犯罪の郊外化を象徴する事件としては、金属バット両親殺害(80年 川崎市宮前区)などがある。
 もちろん人口が増加したということは、特に子育て期の世帯が増加したのだから、少年の数自体も増加したのであり、そこで少年犯罪が増加するのは当然である。が、量 だけが理由ではない。大量の人口が急激に流入したために、地域社会が形成されていないこと、旧住民の地域社会と新住民との間の軋轢が生まれることなど、総じて言えば地域社会の安定していないという質的問題こそが重要なのである。(注2)
 80年代後半になると、3地域の傷害件数は減少してゆくが、最も減少した95年でも、3地域の構成比は16.3%に上昇。東京は10.2%に低下している。さらに99年には、東京は8%に減少、3地域は19%に増えている。前述した少年事件の中でも、「表1」のように、人口増加の激しい地域や郊外ニュータウンで起こっているケースがある。様々な地域振興策による企業立地が盛んに行われた地域もある。つまり犯罪が地方に拡大したのだが、これは裏を返せば地方が都市化した、あるいは郊外化したとも言えるのだ。
 さらに細かく地域を見ると、84年から99年にかけて増加率の高い管区は、高知、千葉、甲府、松山、奈良、徳島、福島、長崎、山口、松江、鳥取、那覇、福岡、広島。95年から99年だけで見ると、松山、甲府、静岡、岡山、長崎、千葉、秋田、大分、釧路、津、鳥取、金沢、高知、水戸、浦和、広島であり、あきらかに地方が多い。実数としてはまだ少ないが、少年犯罪が地方型になっているのではないかと危惧させるには十分である。(少年犯罪の地方化については前田俊英都立大学教授の『少年犯罪』でも指摘されている)
 ちなみに、文部省の統計によれば、児童生徒1000人あたりの暴力行為の発生件数は、三重県、岡山県、神奈川県、香川県、高知県、奈良県、広島県、山口県で高く4.9件以上。全国平均は2.4件、東京都は1.6件であるから、やはり総じて地方型である。また、児童生徒1000人あたりのいじめ発生件数は、栃木県、富山県、長崎県、千葉県、愛知県、山口県で多く、4.4件以上。全国平均は2.3件、東京都は2.9件であるから、これも総じて地方型である。



国土の総郊外化

 では、少年犯罪の地方化が意味するものは何であろうか。80年代から現在までの間に地方に何があったのか。それこそはまさに土建行政ではなかったか。あるいはテクノポリス、リゾート法等々、大都市の過密の解消、中央と地方の格差是正、地域振興、余暇開発、生活大国等々といった、その時々の名目で行われた様々な開発。そしてバブルによる金まみれの狂乱と、バブル崩壊後の闇雲な景気対策型公共投資。これらによって、1980年代までは大都市周辺に限定されていた都市化および郊外化が全国に波及し、地域社会に構造的な変動が起こり、人々の心、家族や人間関係のあり方にも本質的な影響を及ぼしたということが、少年犯罪を生む土壌を形成したのではないだろうかと思えてならないのだ。
 試みに、83年と98年の土木費を比べると、全国が121%増であるのに、上位 の愛媛、佐賀、広島、島根、栃木、徳島、京都、山口、兵庫、大分、山梨、福岡ではほぼ150%以上の増加である。この12府県のうち8府県が少年犯罪の増加率の高い地域でもある。そして、少年犯罪増加率は高くないが、土木費の伸びの高い佐賀、栃木、京都、兵庫では、2000年にすべて大きな少年事件が起きている。
 これは偶然であろうか? 私はそこに一定の必然性があると思う。(注3)
 さらに、文部省の統計によれば、児童生徒1000人あたりの暴力行為の発生件数は、三重県、岡山県、神奈川県、香川県、高知県、奈良県、広島県、山口県で高く4.9件以上。全国平均は2.4件、東京都は1.6件であるから、やはり総じて地方型である。また、児童生徒1000人あたりのいじめ発生件数は、栃木県、富山県、長崎県、千葉県、愛知県、山口県で多く、4.4件以上。全国平均は2.3件、東京都は2.9件であるから、これも総じて地方型である。



国土の総郊外化

 では、少年犯罪の地方化が意味するものは何であろうか。80年代から現在までの間に地方に何があったのか。それこそはまさに土建行政ではなかったか。あるいはテクノポリス、リゾート法等々、大都市の過密の解消、中央と地方の格差是正、地域振興、余暇開発、生活大国等々といった、その時々の名目で行われた様々な開発。そしてバブルによる金まみれの狂乱と、バブル崩壊後の闇雲な景気対策型公共投資。これらによって、1980年代までは大都市周辺に限定されていた都市化および郊外化が全国に波及し、地域社会に構造的な変動が起こり、人々の心、家族や人間関係のあり方にも本質的な影響を及ぼしたということが、少年犯罪を生む土壌を形成したのではないだろうかと思えてならないのだ。
 土木費の増加は交通量の増加を生む。人々は住んでいる地域を超えて激しく移動する。あるいは住む地域を中心市街地や農山村部から郊外に変える。物流が増大し、日本全体が均質な市場に変わる。日本中の田圃の真ん中を走る幹線道路沿いには、同じスーパーがあり、コンビニがあり、ファストフードがあり、パチンコ屋ができ、カラオケボックスができ、テレホンクラブができ、ラブホテルができる(表2)。

その光景は、東京郊外と何も変わらない。いや、もしかすると東京郊外以上に徹底して郊外的だ。日本中が「総郊外化」したのだ。日本中の地域が固有の風土を喪失し、均質化し、「マクドナルド化」し、かわりに誕生したのは、いわば個性のない「ファスト風土」だ。(注4)

 また、郊外化した地域は、企業立地も盛んであったため、逆に今は不況の影響を被っているという経済的理由も少年犯罪の背景にあることも推測できる。
 いずれにしろ、このように日本中の地方が、工業化し、郊外化し、ファスト風土化してしまった現在、地方だからふるさとと呼べる風土があるとか、人間関係が親密だとか、家族や地域社会が安定しているとか、子供がのびのびしていると思うのは、もはや半ば幻想だ。少年犯罪はまさにそのことをわれわれに教えている。
 最近、土建行政への批判が激しくなっているが、その批判はしばしば、景気対策としての有効性や環境問題といった観点からのみなされているように見える。しかし、今まさに忘れてはならないのは、少年たちを育てる地域社会があるかどうかという観点である。



「田園都市」の現実

 しかしそこにはひとつの皮肉めいた歴史がある。日本の土建国家化の張本人とも言われる田中角栄が1972年に発表した『日本列島改造論』は、それ自体はオイルショックによって頓挫したが、今から見れば、この本で目標とされた国土像は、その後全国総合開発計画などによってほぼ実現されたように見える。私は国土計画の専門家ではないので詳述は避けるが、列島改造論にも、80年の大平正芳首相の『田園都市国家の構想』にも、そして98年に国土庁が発表した『新しい全国総合開発計画』にも、一貫した通 奏低音として響き続けているものは、田園都市的なるものの理想なのである。
 『日本列島改造論』は書いている。「高度成長によって東京、大阪など太平洋ベルト地帯へ産業、人口が過度集中し、わが国は世界に類例を見ない高密度社会を形成するにいたった。巨大都市は過密のルツボで病み、あえぎ、いらだっている反面 、農村は若者が減って高齢化し、成長のエネルギーを失おうとしている。都市人口の急増は、ウサギを追う山もなく、小ブナを釣る川もない大都会の小さなアパートがただひとつの故郷という人を増やした。これでは日本民族のすぐれた資質、伝統を次の世代につないでいくのも困難となろう。・・・国民がいまなによりも求めているのは、過密と過疎の弊害の同時解消であり、美しく、住みよい国土(美しく、住みよい国土に傍点フル)(傍点三浦)で将来に不安なく、豊かに暮らしていけることである。・・・工業の全国的な再配置と知識集約化、全国新幹線と高速自動車道の建設、情報通 信網のネットワークの形成などをテコにして、都市と農村、表日本と裏日本の格差は必ずなくすことができる。」
 そして「新地方都市のビジョン」という節では、こう書かれている。「明治百年にいたる近代日本の道のりは、地方に生まれ、育った人たちが大都市に集中し、今日のわが国をつくる牽引車になったことを示している。しかし、明治二百年に向かう日本の将来は、都市に生まれ、育った人たちが、新しいフロンティアを求めて地方に分散し、定着して、住みよい国土をつくるエネルギーになるかどうかにかかっている。そのためには地方に産業を起こし、高い所得の機会をつくるとともに、文化水準が高く、経済的、社会的に十分な都市機能を持った地方都市を育成しなければならない。地方都市に住む人々が豊かで、便利な暮らしができるように日常の生活環境をきめこまかく整備することである」。こうして読めば、その後の日本の建設行政が郊外住宅地開発と道路建設に力を入れた理由がよくわかる。

 1980年に出された『田園都市国家の構想』は、大平首相の急逝後に出されたものだが、その骨格は77年に大平政権成立時から検討されてきたものである。そこでは、当代一流の文化人たちが名を連ねて、エベネザ・ハワードの田園都市論が紹介から構想が展開されている(注5)。
 大平首相は冒頭で「時代は急速に変貌しています。そして、長く苦しかった試練を経て、ようやく黎明が訪れてきました。あたりはまだ闇でも、頭をあげて前をみれば、未来からの光がさしこんできます。後を向いて立ちすくむより、進んでその光を迎えいれようではありませんか。」と、やや大時代的に書いているが、同時にそれは、ハワードが『明日の田園都市』の冒頭に引用したローウェルの詩「新しい仕事は新しい義務を教え 時は古いものをすばらしい未知のものに変える 真理におくれまいとするものはつねに上を向いて前へ進まねばならぬ  見よ われらの前には真理のかがり火が輝いている」とよく似ており、ハワードの著書を意識したのではないだろうかとすら思えるほどだ。いずれにしろ、高度成長期の矛盾を「闇」ととらえ、それに対する「光」を求める姿勢は、どこか社会改良主義的であり、大平首相のクリスチャンとしての理念性、精神性、文化性が感じられるとも言える。
 報告書を読み進めていくと、田園都市国家の建設のためには、「人口200〜300万人の個性豊かな活力ある地域社会が相互に交流」することが求められ、「充実した都市機能を持つ人口10〜30万人程度の「地域中核都市」を中心に、自然との調和のなかに美しい都市的生活環境の整備された人口5〜10万人程度の「地方中小都市」および「農山漁村」が有機的に一体となり、活力ある多様な「田園都市圏」を形成し、衛星のようにめぐって、日本の国土全体の上に「多極重層」のネット・ワークをもって、「田園都市国家」が形成されているであろう」と期待される。そして当然、そこには「各都市や田園都市圏を結ぶ全国的な幹線交通 ネット・ワークを完成させる」ことが必須であるとされ、「太陽と水と緑の蘇生」が唱われて、都市域と田園域の中間帯に田園都市林を設けるべきとされるのだ。(注6)
 しかし「地域を支える新たな産業群」という節を見ると、文化産業、ニュー・ソフト産業などが重視され、具体的には「「家庭機能の外部化」に対応した「クイック食品」、「ファミリー・レストラン」などの外食産業」などの重要性が指摘されている(「クイック食品」とは、レトルト食品やカップ麺のことであろうか?)。が、日本中に道路ができ、ロードサイドにスーパーやコンビニやファミリー・レストランができ、国民がクイック食品を食べることのどこが田園都市なのだろうか!? 大平首相をもってしても、高邁な理念を目の前の経済と妥協させれば、いかにも詭弁とこじつけが好きな役人風の作文ができてしまうのだ。
 いや、もし国土計画が成功したとするならば、日本中を覆い尽くした道路網とスーパーとコンビニとディスカウントストアとファミリーレストランの風景=「ファスト風土」こそが、戦後日本の生んだ、まさしく「田園都市」の風景なのだ! 

 そしてこのたびの「新しい全国総合開発計画」は「21世紀の国土のグランドデザイン−地域の自立の促進と美しい国土の創造」と銘打たれ、「庭園の島」が目標とされている。「田園都市国家」とまったく同一線上にある概念であるが、それにしても「庭園の島」とは、なんとも美しすぎる言葉ではあるまいか。「庭園の島」とはまさに国土の総田園都市化であろう。それは目標としては美しい。が、列島改造論以来の実績から評価させてもらえば、あまり信用する気にはなれない(注7)。
大都市への過密を解消し、中央と地方の格差是正するために、地方の産業を振興し、中央から企業を誘致させ、雇用を創出し、ひいては生活水準を向上させる。これが、列島改造論以降一貫していた国土政策だ。たしかのその政策は、ちょうど私の育った上越がそうであるように、生活を非常に便利にした。
 だが、そこには田園都市などできたためしはない。美しい稲穂が風になびく水田がつぶされて無味乾燥なニュータウンに変わり、美しい森が根こそぎにされてゴルフ場とスキー場になっただけではないのか。
 だから、「庭園の島」も結局は、日本列島のさらなる完全な総郊外化を推進することにしかならないのではないかと心配になる。いや、そもそも、政治家や官僚たちが、「そういう無数の『郊外』のつながりこそが、まさにわれわれの理想とする「庭園の島」なのだ」と言うのなら、もうお手上げである。
 だが、つぶされ、根こそぎにされたのは自然だけではない。どうやら人の心もまたつぶされ、根こそぎにされたかも知れぬ 。それは本来の田園都市の理想とは矛盾するものであろう。日本列島改造の理想とすら矛盾するかも知れぬ 。たとえ理想が高邁でも、それが実現されようとすると、土建行政が頭をもたげ、理想とは反対のものができてくるのだ。
 むしろ今後は、願わくは、人々の心が耕され、育まれて、そこにこそ「庭園」が生まれるべきではないか。

表1 地方の郊外型地域で発生した少年犯罪の概要
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酒鬼薔薇事件  1997年  月     
神戸市須磨区(須磨ニュータウン)で発生。犯人、被害者共にニュータウンに住んでいた。

てるくはのる事件  1999年12月  
犯人の住所は京都市伏見区向島団地。団地は国道24号線に隣接。事件のあった小学校も同区内。同区内には他にもいくつかの団地があり、国道7号線、36号線が走る。

5000万円恐喝事件 2000年5月  
犯人の少年3人の住所は名古屋市緑区、中区。被害者も緑区内在住だった。緑区の人口増加率は7.4%(92年→97年)で、典型的な郊外住宅地。区内を国道1号線、23号線、36号線などが走る。

金属バットによる同級生殴打と母親殺害   2000年6月  
犯人の住所は岡山県邑久郡長舟町。同町の人口増加率は11.4%(同)。国道2号線、69号線が走り、工場が多い。隣接する邑久町のホームページには「邑久町は、県庁所在地の岡山市に隣接し、JR赤穂線やマイカーを利用しての通 勤、通学の便も良く、都市近郊型の町として発展を続けています。また、町を東西に縦断する岡山ブルーライン沿線は、産業振興や観光開発などに大きな可能性を秘めています。企業誘致やスポーツ・レクリエーション施設の充実など若者が定住できる魅力ある町づくりと、居住環境の整備を計画的に進め、21世紀に向けて大きく躍進しています。」とある。

女教師ナイフ刺殺  1998年1月  
事件のあったのは栃木県黒磯市の公立中学。黒磯市の人口増加率は6.0%(同)。中学は根室街道沿いにあり、東北自動車道にも近く、那須インターチェンジも近いため、付近には工場が散在している。地図で見ると異様に道路が直線的である。

少年リンチ殺害  1999年12月     
被害者の住所は栃木県河内郡上三川町。同町の人口増加率は8.1%(同)。隣接する南河内町は37.0%、上河内町は
7.4%、河内町は6.2%、犯行現場の芳賀郡市貝町は6.8%と、いずれも宇都宮市の郊外部に位 置し、人口増加率が高い。宇都宮市、芳賀郡芳賀町などが宇都宮テクノポリス開発地域であるとともに、宇都宮市、芳賀町、上三川町などが宇都宮地域頭脳立地計画地域となっているためである。上三川町は、北関東自動車道をはじめ、町の中央を新4号国道が南北に縦貫し、国道352号線、県道真岡・上三川線が東西に横断するなど、幹線道路網の整備が進んでいると町のホームページでも宣伝している。昭和40年代に自動車工場を誘致している。芳賀町にも自動車メーカーの研究所もあるなど、企業立地がさかんである。

豊川市主婦殺害  2000年5月  
豊川市の県立高校生であった犯人の住所は豊川市の西隣の宝飯郡音羽町で、人口は減少気味の町。しかし国道1号線と332号線が交わるほか、東名高速の音羽蒲郡インターチェンジがある。インターチェンジの近くには赤坂台という郊外ニュータウンがある。また豊川市は人口増加率2%程度であるが、企業立地が多い地域であり、市のホームページには「豊川市は東京・名古屋・大阪を結ぶ三大都市圏の中央に位 置する地理的好条件を有し、わが国の動脈である東名高速道路や国道などへのアクセス条件の良さから物流ネットワークの拠点として地域の将来性が期待されています。さらに、三遠南信(愛知県・静岡県・長野県)自動車道路や第二東名・名神高速道路の整備推進により、東京圏・関西圏へ約2時間半で結ばれます。」とある。市の東隣の宝飯郡一宮町は人口増加率が5.9%である。

歌舞伎町ビデオ店爆破事件 2000年12月  
栃木県下都賀郡の県立高校生が自分で作った爆弾を歌舞伎町のビデオ店に投げ込み爆破。下都賀郡は宇都宮線(東北線)沿線、小山市と宇都宮市の周辺に位 置する。東北新幹線、東北自動車道に挟まれた交通至便の地であるため、企業立地が盛ん。国分寺町は人口増加率6.9%、野木町は7.2%。また、同郡の壬生町、石橋町は、上述の宇都宮地域頭脳立地計画地域に属する。

兵庫県タクシー運転手刺殺

宇都宮市高校生が深谷市のOLを刺殺

清水市の中学生が隣家の男性を刺殺



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表2 過去20年のわが国の変化(全国の値)
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舗装道路の総延長 78年 43.8万km 98年 86.7万km
自動車保有台数 79年 3656万台 99年 7462万台
スーパーマーケット 79年 9310店 99年 21154店
コンビニエンスストア 78年 6500店 96年 49000店
パチンコ店 79年 10418店 99年 16413店
ゴルフ場 85年 1379 99年 2296
ホテル営業施設数 78年 1574 98年 7944

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注1)
1964年の「傷害」は、下位分類の「傷害」「傷害致死」「暴行」「凶器準備集合・同結集」を含む。
72年以降は下位分類の「傷害」のみ。

注2)
郊外の問題については拙著『「家族」と「幸福」の戦後史  −郊外の夢と現実』を参照されたい。

注3)
もちろん83年と98年という単年度だけを比較するのはやや危険である。大きな傾向の変化はないと思うが、 今後各年度の
数字を見て、分析に正確を期したい。

注4)
私は先般、文化地理学者のオギュスタン・ベルク氏と対談する機会を持ったが、その際にベルク氏が語っていたのが、
「国土の総都市化、総郊外化」である。

注5)
ハワードは1898年に『明日−真の改革にいたる平和な道』を著し、1902年にその改訂版といえる『明日の田園 都市』を著した。これがその後欧米および日本の田園都市計画に非常に大きな影響を与えた。ハワードの田園都市は人口30000人、周辺の田園の人口が2000人という小規模なものであるが、いくつもの田園都市が鉄道と道路で結ばれて、25万人の都市群を形成する。

注6)
こうした中核都市−小都市−農村部という関係からなる都市圏のイメージは非常に古くからあるが、主として1920〜30年代に盛んになったものである。1939年のニューヨーク万博でも、その目玉 展示として「デモクラシティ」という2039年の都市圏のジオラマがつくられたが、この都市圏は、関東平野ぐらいの面 積で、人口が150万人、都心の就業人口が25万人、その周囲を70もの衛星都市が囲み、それぞれの衛星都市の人口は1万人あるいは2万5千人。それぞれの衛星都市のあいだには広大なグリーンベルトがあり、農業や娯楽のための地域になっているというものであったから、大平首相の田園都市構想と非常に似ている。(拙著『「家族」と「幸福」の戦後史 −郊外の夢と現実』参照)

注7)
戦後の国土計画への批判としては本間義人氏の『国土計画を考える』を参照されたい。


◆参考文献
田中角栄『日本列島改造論』日刊工業新聞社、1972
内閣官房編『大平総理の政策研究会報告書−2 
田園都市国家の構想』大蔵省印刷局、1980
本間義人『国土計画を考える』中央公論新社、1999
三浦 展『「家族」と「幸福」の戦後史 −郊外の夢と現実』講談社、2000