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■家族と郊外
郊外家族の成立と終焉 〜脱家族化社会の到来
三浦 展(カルチャースタディーズ主宰)
1. 55年体制の中の家族
私は『「家族」と「幸福」の戦後史』(以下『戦後史』とする)で、1930年代から1960年代のアメリカ、そしてそのアメリカに影響された1955年体制以降現在までの日本を視野に入れながら、近代的な、あるいは現代的な意味での家族と、その家族生活の舞台としての郊外住宅地の分析を行った。時間にして60年のスパンで日米の家族と郊外の比較文化史的な研究を行ったと言える。
近年、近代家族虚構論ともいうべき議論が盛んだが、近代家族、あるいは現在の我が国で一般
的にイメージされる家族とは、55年体制以降の核家族と言えるであろう。
55年体制とは、言うまでもなく、アメリカの大衆消費社会のように、より多くの人がより豊かな生活ができる社会を追求した体制であったが、1960年の池田隼人首相による所得倍増計画を経て、73年の第一次オイルショックで高度経済成長が一旦終焉するまでのほぼ20年間が、まさに日本の戦後体制の確立期であり、家族についても戦後的な新しい家族が標準となった時代であると言える。
それからすでに4半世紀以上経っているわけだが、この四半世紀は「家族の崩壊」の四半世紀であったとも言える。しかしそれはまさに55年体制型の家族が崩壊しつづけてきたという意味に他ならない。
周知のように、父親、母親、そして子供が一人か二人いる、「標準世帯」と呼ばれる典型的な核家族はちょうど1955年から75年の20年間に急増した。ところが80年にはその数は横ばいになり、90年代には減少が始まった。すなわち標準世帯というものは、55年体制の中で形作られた非常に特殊な時代的産物であったと言うことができるのである。
ちなみに1990年の「国勢調査」では、18歳未満の子供のいる核家族世帯は、両親ともいる世帯が1014万世帯、片親の世帯が93万世帯であり、その割合は11:1である。ただし末子が18歳以上の世帯では、両親ともいる世帯が500万世帯、片親の世帯が180万世帯と約3:1となる。もちろんこの片親は離婚によるものだけではなく、死別
が加わっているが、しかしもはや両親ともに揃っている家族が決して「標準」とは言い難いものになっていると言うことができるであろう。
さて、世代論的に言えば、1975年前後という時代は、団塊世代の男性が子供を作り始めた時代である。団塊世代の女性は1971年に結婚がピークとなり、1973年、74年に出産がピークなる。他方、団塊世代の男性は、1973年が結婚のピークであり、75年から78年にかけて子供をたくさん作っているのである。
団塊ジュニア世代とは一般的には1971〜74年に毎年200万人生まれた世代を指すが、団塊ジュニア世代を言葉通
りに団塊世代の子供という意味に解釈すれば、団塊世代の父母から生まれた子供が全出生数の50%以上となる時代は73〜80年であるから、73〜80年生まれこそが真の団塊ジュニア世代と定義すべき世代ではないかというのが私の持論である。
それはさておき、ちょうど団塊ジュニア世代が生まれた73〜80年ころは、中流意識が定着したと言われる時代である。総理府の「国民生活に関する世論調査」において、自分が「中の中」に属するという意識は1973年から79年に最も多く、60〜61%に達している。「中の中」は1958年には37%しかなかったから、まさに55年体制の中で中流意識が増加し、それが73〜79年に最高潮に達したと言えるであろう。
しかし皮肉にもまさにこの1970年代後半以降、中流幻想、家族幻想というものが次第に効力を失っていき、家族は幻想から幻滅の時代に入ったと言える。1970年代後半から家庭内暴力が増え始める。有名なのは、開成高校生事件や金属バット事件である。不登校も増える。校内暴力、いじめも増えていく。
逆に、今から思えば、55年体制において、家族というものがなぜそれほどうまく機能した(少なくとも機能したように見える)のかという問題が浮かんでくる。その点を説明するのが「消費共同体」としての家族という視点であろう。
2. 1955年体制家族の意味
1)郊外化
55年体制の中の核家族については大きくいって3つの意味がある。
第1は「郊外化」である。言うまでもなく、イギリスではいち早く産業革命が起こり、それによって都市の居住環境が劣悪となったために、19世紀後半になると住宅政策が重要な課題となり、20世紀にはいると豊かな緑ときれいな空気を求めて郊外に住宅地(田園都市)が建設されるようになった。
戦後の日本の大都市でも、急激な工業化によって居住環境が劣悪になり、かつ都心部における家族向け住宅の供給が非常に不足していたこともあって、戦後都市部で増加した若年層は、結婚、出産とともに郊外に移り住むようになった。最初は、東京圏で言えば都心から20・圏くらいだったが、団塊世代が郊外に家を買う時代には40・圏まで、バブル期には50・圏以遠まで拡大した。
ところで、郊外という言葉自体はただ都市の外縁部という地理的な概念でしかない。しかし、私がここで述べる日本の戦後の郊外は、より広く、多面
的に、社会的・文化的なコンテクストに位置づけられる概念である。それは、近代化、産業化、核家族化、ジェンダー、経済効率主義、会社至上主義、大量
生産・大量消費社会、資源浪費社会、冷戦構造、アメリカ化、高学歴化、受験競争、清潔志向、マイホーム主義等々、様々な社会・経済・政治・文化現象が密接に相互連関した中で浮かび上がってくる概念であり、やや大げさに言えば、近代化というプロセスそのものを凝縮して体現したのが郊外であると言える。したがって、郊外の再評価、再検討は、必然的に近代という時代の再評価、再検討という意味を持つことにならざるを得ない。(注1)
2)分業化
第2は家族の「分業」である。この分業には2つの側面がある。
まず物理的な分業、すなわち「職住分離」である。近代的な独立専用住居の思想により、職住が一致した住居ではなく、職住が分離した住居が良しとされるようになった。しかも郊外化した家族は、職住分離どころか職住が遠隔化したため、ますます職住分離は必然となった。
加えて家族の役割の分業化も進んだ。すなわち、夫は仕事に没頭する会社人間、妻は専業主婦というジェンダーの強化、さらに子供は学業専念、という形での家族それぞれの分業である。しかも住居の郊外化により、夫は都心で仕事、妻は郊外で家事というジェンダーが、物理的な空間としてもはっきりと色分けされたと言える。そして、分業化した家族には生産や労働に基づく共同性がなくなり、時間も空間も共有しないという家族が標準になっていったのである。
3)消費共同体
第3の特徴は「消費共同体」としての家族という側面である。
高度成長期以前は日本は基本的には農業社会であり、多くの国民は生産共同体の中にいた。また、下町の商工業地域でも、生産を基盤とした共同体が存在していたと言えるであろう。
しかし55年体制の中で、急激な勢いで農業から雇用者、勤め人への労働力のシフトが進んだ。それに伴い家族が核家族化し、生産を基盤とする地域共同体から切り離され根無し草になっていった。しかも家族そのものが分業化して共同性を失っている。そこで、その根無し草の家族を結び付け、共同性らしきものを担保する接着剤となったのが消費であったと言える。
つらい仕事も、単調な家事も、つまらない勉強も、より多くの物を消費し、より高価な耐久財を購入することの喜びによって補償された。妻は家事の代償として家電や化粧品や洋服を買い、子供はテストでいい点を取ればラジカセを買ってもらい、志望する大学に入れば自動車を買ってもらった。すなわち、家族は「より豊かな生活」という消費あるいは所有の目標を共有することで一体感を味わうことができたのである。
もちろん男性は家族以前にまずは「会社共同体」に吸収された。そして結婚相手も社内で見つけ、社宅に住み、社内の財形貯蓄で家を買い、社内運動会などによって家族全員も会社共同体の一員となった。さらに、家族は会社および会社が属する企業グループが作り出す製品を買うことによってさらに会社に貢献した。三菱グループの社員は、キリンビールを飲み、ギャランに乗り、ビーバーエアコンを買ったわけである。
つまり、会社共同体と消費共同体ががっちりと結びつくことで、地域に根ざした生産共同体から根こそぎになり、根無し草となり、分業化した家族に、新しい消費という共同性を付与したのである。それは実に見事なシステムだったと言える。
また、消費を通じて、新しさ、清潔さ、正確さ、均質性、進歩などの近代的な価値を善とする価値観が国民に植え付けられたことも指摘しておくべきであろう。
3. 郊外というイデオロギー
もちろん日本では、いやアメリカですら、家を持つことは夢であっても、郊外に住むことは夢などではなく、単に都市から外部へ追いやられただけだという側面
があったことも確かだろう。レヴィットタウンでも、入居の初期においては、「舗装されていない泥だらけの道路をなんとかしろ」といったデモが行なわれていたようであるから、郊外は夢でもなんでもなかったのかも知れない。
しかし、こうした厳しい現実を新しい郊外生活のイメージで粉飾する契機になったのが冷戦であった。第2次世界大戦の退役軍人が結婚し、家庭を持つことに対応して緊急に建設されたのが戦後アメリカの郊外だが、この郊外をたんなる住宅地としてだけではなく、アメリカニズムというイデオロギーの支持基盤として固めていく必要がアメリカ政府にはあった。
退役軍人というのは必ずしももともとホワイトカラーではない、むしろ工場労働者の階級もたくさんいる。だから彼等の不満を放置すれば、彼等は共産主義勢力とまでは言わぬ
までも、反体制勢力になる可能性がある。そこで彼らに対して郊外住宅を供給し、「郊外生活は新しいアメリカの夢なんだ。みんな車に乗って、曲がりなりにも家に住んで、テレビもあって、食べ物も冷蔵庫に詰まって、こんないい生活はアメリカ以外、世界中にないんだ」という洗脳が政策的に行われたのである。
アメリカが、国家として郊外化を進めたのは間違いないことである。しかもそこには郊外化が進めば石油資本が儲かるという仕掛けがあった。大量
の人々が郊外の家に住めばクルマが必要になる。その結果ガソリンが売れる。新しい家が出来れば、その家の中で使う新たなエネルギーが必要で、また石油が売れる。そういう目論見があったはずである。戦争で使っていた石油を使う新たな需要が求められたとも言えるであろう。企業が必死でロビー活動をしてインターステイト・ハイウエイ法が成立し、アメリカ全土に道路が整備され、そこに自動車が走り、ガソリンが売れ、郊外に家が建ち、郊外では石油と様々な石油化学製品が売れていくという結果
を生んだのである。政府にそうしたしたたかな戦略があったことは間違いない。(三浦,1999)
翻って日本はどうか。そこまでの戦略があったのか、ただアメリカの真似をしたのか、あるいはアメリカにアメリカの真似をしろと言われたのか、私は知らない。また、確かに日本においてアメリカほど郊外を夢のイメージで飾り立てる政策が存在したかどうかを証明することは難しい。それでも、住宅公団の1955年当時のプロモーションフィルムを見ると、団地族の生活が、これからの日本人が目指すべき近代的な生活として描かれていることは確かである。また、自殺の名所になる前の1975年の高島平団地の住人に対して実施されたアンケートを見ると、入居時点で同団地を「近代的で立派だ」と「感じた」「多少感じた」人は63%に達する(日本住宅公団,1975)。民間の住宅産業の広告が70年代前半に増えたことも確かである。そうしたことから、日本においても、近代的な住まいとしての郊外が、積極的なイメージとして描かれた時代があったことは確かであると言えよう。
4. 郊外文化の諸問題
しかし、1975年以降、家族共同体が次第に機能しなくなった。それまでは一種の夢であり希望でもあった近代的な核家族や郊外における生活が、幻滅の段階に入っていく。具体的には以下のような諸問題が現れてきた。
1)消費共同体の意味喪失
1970年代には、先述のように60%の国民が自分を「中の中」と感じ、「中の上」、「中の下」も合わせると、9割が自分を中流だと思い、「もう欲しい物はない」と感じ始めた。同じ総理府の「国民生活に関する世論調査」において、「物の豊かさ」を重視する人と「心の豊かさ」を重視する人が拮抗するのも1970年代後半であり、その後は「心の豊かさ」重視派が増え続ける。
そのことは、欲しい物を軸として消費共同体を形成していた家族にとって、消費という目標が失われはじめたということを意味する。貧困からの脱出、豊かな生活を目標にする時代は終わった。しかしそうであればこそ、家族が一丸となって働き、勉学にいそしむという図式も崩れ始めたのである。
消費面でいえば、1980年代は、消費は家族から個人の時代に入った。わかりやすい例は家電である。家電メーカーは、全国の家庭に主要な耐久消費財が100%普及した70年代以降は、家族のための家電ではなく、個人のための家電=「個電」を開発するようになった。それまでは四畳半で貧しい生活をしていた単身者、未婚者向けに小型の電子レンジ、小型の冷蔵庫がつくられたのである。
さらに、家庭のなかでもテレビが2台となり、電話には子機が付き、応接間のステレオは子供部屋のミニコンポに代わり、家庭内の個人化が進んでいった。ちなみにある調査によると、今、小学校6年生の20%は自分の個室の中にテレビを持っているという。テレビは今21インチでも3万円ぐらいで売っていて、お年玉
で買うことができる。電子レンジは7000円で売っているし、冷蔵庫も1万円で買える。30年前ならお父さんが48ヶ月の月賦でやっと買っていた家電が、今や中学生でも毎月のお小遣いをやりくりすれば家電が買いそろえられるという、実に驚くべき時代に私たちは生きているのである。
このように消費が家族ではなく個人を単位として可能になると、家族は消費共同体としての存在理由を喪失し、本来の根無し草の分業化した非共同的な性格を露呈することになる。消費によっては家族をまとめられないという時代になったのである。
しかし、企業が生み出す様々な商品やビジネスは、一方では家族を個人に解体する機能を持ったが、他方ではまた企業の多くは家族という単位
に対してもモノを売る必要があった。そこで企業がとった戦略は、モノ消費ではなく、サービス消費による家族らしさの提案であったと言える。
その典型がファミリーキャンプである。あるいは「土曜日は手巻き寿司」という酢のCM、「幸せって何だっけ何だっけ」のポン酢しょうゆのCMでもいい。家族が個人に分裂する時代において、せめて土曜や日曜くらいはキャンプに行って家族が協力してテントを張って料理を作って共同性を味わいたい、家族揃って夕飯を食べて一体感を感じたい、そういう願望をかなえる小道具としてそれらの商品は提案されたと言える。
実際、最近の学生にインタビューしてみると、4人に1人くらいは結婚して子供が出来たらキャンプをしたいと答える。この10年ほどの間に定型化された家族のイメージが若者の中にしっかりと植え付けられているようなのである。
しかし、それでも現在の社会では、家族が一緒に暮らすということが自明性を弱めつつあることは否定できまい。高度成長期以前は家族は生産を軸とした共同性を持っていた。高度成長期は、家族は分業しながらもお互いが助け合って生きていると信じる(あるいは信じることが正しいと考える)ことができた。ところが現在は、ひとりでも便利で快適な生活ができるようになってしまったので、家族の存在理由が不明になり、たとえ家族であっても、自分の快適な生活を阻害する存在として意識されるようにすらなっているのではないだろうか。そこには、家族は相互に助け合っているのではなく、相互に犠牲になっているという意識すら生まれているのではないだろうか。
2)均質性、同調圧力
第2に、特に郊外化した家族の特徴として「均質性」がある。日本の戦後の郊外住宅地は画一的なプレハブ住宅や集合住宅が主流であり、住宅もまた自動車や家電と同様に大量
生産品であった。そこに住む者も、特に同じ街区であれば、年齢も年収も家族構成も似ている。しかし、あまりに均質な家族が住んでいるために、同調圧力が強い。ちょっとした差異が気になるという傾向が強まりがちである。
光文社の『VERY』と言う雑誌が作った言葉で「公園デビュー」という言葉がある。子供が一歳ぐらいでヨチヨチ歩きを始めると、では初めて散歩に行こうかということになる。しかし母親があまり高価なものを身に付けていくと、「あの人ちょっとお高く止まっているわね」と思われてしまう。普段着のままでは「貧乏くさいわね」と思われる。たかが公園の散歩でも悩ましい。そこで「公園デビューにはこんな服を来ていきましょう」という記事を企画して大当たりしたのである。そのように微妙に差異化を図りつつも、トータルとしては「皆さんと一緒ですわ」という価値観を体現しないと生きにくいという環境が郊外にはあるのだ。
また『戦後史』を読んで、まさに私の育った環境はこの本のとおりだと言ってきた30代前半の女性から聞いた話だが、彼女は町田市育ちで、東大を出ているが、未だに近所の人はそれを知らないと言う。東大なんて言い出しにくい、ちょっと目立ちすぎる、反感を買いそうだ、だから言いそびれた、そして入学からもう15年も経ってしまったというのである。
広島市郊外出身の27歳の男性は、中学時代にいじめを経験したが、彼の話では、いじめも、かつては弱い者いじめであったが、今は目立つ者いじめという傾向が強いという。異質なものを排除する傾向が郊外には強いのである。
最近、浦和市の集合住宅住まいの主婦が、隣家に住む子供を殺す事件があったが、これはその子供の家がマイホームを購入したことへの妬みだった。この種の事件が郊外でのみ起きるわけではないが、しかし郊外のような均質な社会では、いっそう差異への過剰な反応が生まれやすいと言うことはできるであろう。
3)職業の不在、人間の数値化、受験競争の過熱
郊外の3番目の問題は、職業の不在から発生する。職住分離で父親は都心で働いている。郊外の子供の生活環境で見える職業といえばコンビニ、ファストフード、スーパーの店員くらいであろう。彼等はたいていはアルバイトやパートであるから、本当の意味で働くプロの姿は郊外ではまず見えない。本来3万種あるとも言われるほど多様な職業が(注2)
郊外では見えない。
逆に、郊外ではみんなが平等で均質な「中流」の「消費者」として振る舞うのである。
したがって職業や働くことに関する知識や意欲が郊外では自然には身に付きにくい。フリーターの増加の原因は多々あろうが、郊外育ちのパラサイトシングルの増加がその一因であると見なすこともできよう。
余談だが、勤労意識については忘れられないことがある。昨年のある夏の日、私が新宿でバスに乗っていたところ、私の後ろの席に、いわゆるコギャル系の女子三人組みが座っていた。彼女達はバスの車窓からネクタイをしたサラリーマンを見て言った。「サラリー大変だよね、サラリー。だって、死ぬ
まで働かなきゃいけないんだもん。早く主婦になりたいよねー」。(注3) もはやサラリーマンは「マン」ですらない。人ですらない。彼女達が自分の父親をどのように考えているのか、私にはわからないが、生活の中から職業が見えない環境で育てば、こういう意識が広まるのもやむを得まい。
また職業の姿、働く姿が見えないと言う環境は、他方で、職業を会社の名前や所得の多寡によってのみ評価する価値観を助長する面
があろう。同様に、子供は学校の名前と偏差値という数字で測られるであろう。そこでは人それぞれの個性、多様性よりも、「客観的」な指標としての所得や偏差値という数値が過大な意味を持つのである。
まして郊外の住人は多くが雇用者であるから、親が子に残せる資産としての学歴の比重が高い。できれば親以上の、最低でも親と同等の学歴が求められ、少しでも名のありそうな会社に就職することが求められる。そこに同調圧力が加わることで、ほとんどすべての子供が曲がりなりにも大学進学を目指さなければならなくなり、幼稚園段階から受験競争が過熱するのである。
4)友達文明
郊外の住人は平等で均質な「中流」の「消費者」として存在している。そうした郊外において促進される人間関係は当然平等主義的である。それは「友達文明」ともいうべきものである。
団塊世代以降、夫婦が友達夫婦になったと言われ、また近年では、夫婦のみならず、親子関係も「友達親子」化していると言われる。しかし、この友達化現象はもはや夫婦や親子だけでなく、教師を含む全ての大人に対しても進んでいると言えるであろう。郊外では、日常生活の中で、階級や階層、地位
、身分などの差異が感じられないからである。
実際は郊外には大学教授も、自動車組立工も一緒に住んでいるのだが、土日にぶらぶらしている時はみなジーパンにトレーナーであり、階層差、階級差が見えなくなる。そうした環境で育つ子供は基本的には全て人間は平等で同じようなものだという意識を自然に体得していくことになるだろう。そうすると、規範意識、上下関係、礼儀作法といったものがて身に付きにくくなるであろう。(三浦,1997)
田園調布に住むお坊っちゃんだったら、家に酒屋や植木屋が出入りする。そういう商人や職人は自分よりも歳は上だが、「身分」は下だ。そこで彼は人を使うという経験を体得する。そうしたいい意味でのエリート意識も郊外では芽生えにくい。みんな同じで平等で「友達」だという意識が郊外においては強化されるであろう。
5)結婚への夢の喪失
4番目に、神奈川県の少子化調査(神奈川県,2000)について触れておこう。神奈川県と言えば55年体制下で最も早く新興住宅地が増えた地域である。大半は横浜、川崎の新興住宅地であるが。ここで、少子化調査の中の質問で「結婚に喜びを感じる」と言う人が、神奈川は男性が45%、女性が35%となっている。10ポイントの意識ギャップがある。
また、同様の質問をしている総理府調査の結果では、男性が41%、女性が38%であるから、男性は神奈川が全国より高く、女性は全国より低い。
神奈川の女性を年齢別に見ると、20代、30代、40代と年齢が上がるにしたがって、喜びを感じる人が減るという結果
になっている。55年体制的な家族像からすれば、最も幸福な家族が住んでいそうな神奈川県において、女性は全国平均よりも結婚に喜びを感じず、しかも喜びを感じない人が年齢が増すとともに増えるという、非常に皮肉な結果
となっているのである。
また、「結婚したら子供を持つべきか」という質問に至っては、全国は男50%、女50%が子供を持つべきだと言っているのに、神奈川では男ですら32%、女性に至っては19%しかいない。家族と子育てのために郊外住宅地を大量
に作った県において、女性達の多くが「子供はもういらない」と言っているのである。まさに55年体制は完全に限界に来ているいうことが良く表れた調査ではないだろうか。
6)少年犯罪の温床
5番目は少年犯罪との相関である。この3年ほどの間に起きている主要な少年犯罪の地域を見ると、過去5年で人口増加率が高い地域に集中して起こっている。それは東京圏などの大都市圏郊外に限らず、地方都市の郊外部も含まれる。地方でも、近年、高速道路が通
ったり、新幹線が通ったり、都市の消費文明との物理的・心理的な距離が急激に狭まっており、東京圏の郊外とあまり違わないライフスタイルができている。郊外を「大都市で働く人が住む住宅地」と定義すると郊外の範囲が限定されてしまうが、しかし「一般
の中流階級が住む新興住宅地」といったより広い定義を行えば、日本のほとんどの子育て期の家族は郊外、もしくは郊外的な地域に住んでいると言えるであろう。そしてそういう地域で少年犯罪が多いように見える。
検察庁の『検察統計年報』の「少年被擬事件の罪名別受理人員」に基づき、「傷害」に限って管区別
に見ると、戦後第一のピークである1964年は、東京の対全国比が17.6%、大阪が7.6%であり、明らかに大都市中心であった。少年犯罪が一旦底となった72年でも、その傾向は変わらない。高度成長期の少年犯罪は大都市型だったのである。
しかしその後は様相が一変する。84年の第二のピーク時には、東京は13.7%に減り、横浜、千葉、埼玉
の合計で
14.2%となり、東京を上回る。これら3地域は東京のベッドタウンとなった地域である。少年犯罪が郊外化したのである。こうした少年犯罪の郊外化を象徴する事件としては、金属バット両親殺害(80年 川崎市宮前区)などがある。
もちろん人口が増加したということは、特に子育て期の世帯が増加したのだから、少年の数自体も増加したのであり、そこで少年犯罪が増加するのは当然である。が、量
だけが理由ではない。大量の人口が急激に流入したために、地域社会が形成されていないこと、旧住民の地域社会と新住民との間の軋轢が生まれることなど、総じて言えば地域社会の安定していないという質的問題こそが重要なのである。
80年代後半になると、3地域の傷害件数は減少してゆくが、最も減少した95年でも、3地域の構成比は16.3%に上昇。東京は10.2%に低下している。さらに99年には、東京は8%に減少、3地域は19%に増えている。
また、全国から1都3県と大阪府を引いた道府県の構成比は1960年代後半には68〜69%あったが、1980年には54%に減少した。しかし、85年以降はふたたび65%前後に増えて一定している。つまり少年犯罪は、1960年代は大都市と地方が多く、70〜80年代前半は大都市郊外部で増え、現在は大都市郊外部と地方で多いといえる。
いや、というより、郊外化が地方にまで及び、地方が郊外化したために、郊外型の少年犯罪が全国に波及したといった方が正確であろう。
前述した少年事件の中でも、人口増加の激しい地域や郊外ニュータウンで起こっているケースがある。様々な地域振興策による企業立地が盛んに行われた地域もある。つまり犯罪が地方に拡大したのだが、これは裏を返せば地方が都市化した、あるいは郊外化したとも言えるのだ。
さらに細かく地域を見ると、84年から99年にかけて増加率の高い管区は、高知、千葉、甲府、松山、奈良、徳島、福島、長崎、山口、松江、鳥取、那覇、福岡、広島。95年から99年だけで見ると、松山、甲府、静岡、岡山、長崎、千葉、秋田、大分、釧路、津、鳥取、金沢、高知、水戸、浦和、広島であり、あきらかに地方が多い。実数としてはまだ少ないが、少年犯罪が地方型になっているのではないかと危惧させるには十分である。(少年犯罪の地方化については前田俊英都立大学教授の『少年犯罪』でも指摘されている)。
では、少年犯罪の地方化が意味するものは何であろうか。80年代から現在までの間に地方に何があったのか。それこそはまさに全国的な郊外化ではなかったか。大都市の過密の解消、中央と地方の格差是正、地域振興、余暇開発、生活大国、テクノポリス、リゾート法等々、その時々の名目で行われた様々な開発。そしてバブルによる金まみれの狂乱と、バブル崩壊後の闇雲な景気対策型公共投資。これらによって、80年代までは大都市周辺に限定されていた都市化および郊外化が全国に波及し、地域社会に構造的な変動が起こり、人々の心、家族や人間関係のあり方にも本質的な影響を及ぼしたということが、少年犯罪を生む土壌を形成したのではないだろうかと思えてならないのだ。
日本中の田圃の真ん中を走る幹線道路沿いには、日本中同じような新興住宅地が建設され、同じようなスーパーがあり、コンビニがあり、ファストフードがあり、パチンコ屋ができ、カラオケボックスができ、テレホンクラブができ、ラブホテルができる。その光景は、東京郊外と何も変わらない。いや、もしかすると東京郊外以上に徹底して郊外的だ。日本中が「総郊外化」したのだ。日本中の地域が固有の風土を喪失し、均質化し、「マクドナルド化」し、かわりに誕生したのは、いわば個性のない
「ファスト風土」的なる郊外だ。1970年代までに東京、大阪、名古屋の三大都市圏で確立した郊外というライフスタイルが、80年代以降、日本中の地方に拡大したのである。
本来、住宅公団に象徴される戦後の日本の住宅政策は、都市勤労者のために廉価な貸家を提供することが中心であったが、70年代からは持ち家政策に変わっていく。それは同時に、住宅建設が社会政策から経済政策、産業政策に変わったとも言えるのだが、この背景には、新しい需要創造を求める産業界側のニーズが相当あった(本間,1987)。
そして今は経済政策どころか土建国家の景気対策にすぎないのではないかとすら思える。住宅建設が日本列島改造論とがつながり、その後の「地方の時代」、テクノポリス、リゾート法などの一連の地域振興策と結託して、ハード先行で行われ、日本中に均質な郊外ができていった。その都度、田園都市の建設を目指すという錦の御旗が掲げられたが、実際に田園都市ができたためしはない(三浦,2001)。
5. 私有主義の限界
これまで述べてきたように、1955年から75年までは郊外中流家庭のモデルが形成、確立される時代であり、75年から現在までの25年間は、そのモデルが、特に人口の多い団塊世代ニューファミリーの台頭によって標準的な家族の形として完全に全国に普及、定着した時代であるといえる。
しかし皮肉にも、この25年は、消費共同体としての家族の意味が薄れて、いわゆる「家族の崩壊」が進んだ時代でもあった。そして現在は、この25年間に生まれ育った世代がすでに成人した時代であり、郊外化の第3四半世紀目に入りつつあると言える。それは言い方を変えれば、「郊外世代」による郊外の再評価、再検討の時代が始まったということでもあろう。
『戦後史』もまたそうした郊外の再検討を企図したものであるが、そこにおいて、私は郊外を「私有空間」と捉え、郊外は私有空間であるがゆえに貧困からの脱出と物質的豊かさを求めた人々に幸福を感じさせたのだが、しかしそうであるがゆえに、郊外が制度化された今となっては、むしろそこに住む者にとって息苦しい閉鎖的な空間になっていると述べ、そして、その価値観から脱却すべく「脱私有」という概念を提示した。本音を言えば自分でもまだよくわからないまま出した概念なのだが、その後各方面
からの反応が良い。知らず知らずのうちに「私有」あるいは「所有」という観念の問題性を感じている人が増えていたようなのである。
また近年、哲学、社会学の分野でも、所有、私有という問題がクローズアップされてきているようである。たとえば大庭健は、現代人の中には「所有領域の中ではミニ専制、無所有領域では放縦」という傾向がある、たとえば個室の中では「ここは私の部屋だから何をしてもいい」という意識が強まり、また誰か他の「私」の所有物には触れないようにするが、誰も私有しない
「公」にはまったく無関心で、そこでは何をしてもいいと考える、そういう社会は「没公共的な私有社会」であると指摘する。そして家庭内ですら、家族の成員が「私的城塞」としての個室の中でミニ専制君主化し、居間や食卓のような公共空間が縮小する。さらにまた、子どもまでもが親の私有の対象になり、子供もまたブランド品と同じように他の子どもとの差異化が強要されると書く(大庭・鷲田編,2000)。
大庭の論を私の郊外論に引き寄せれば、特に「郊外(マイタウン)−持ち家(マイホーム)−個室(マイルーム)ー自家用車(マイカー)」という私的所有の領域が入れ子構造のように連鎖した空間では、ますますそういう没公共的私有意識が強まりやすいのではないかと思われる。すべての人が「私」を拡大したことで、失われたものはないか。それがまさに市民としての、あるいは家族としての「公共性」であり、また地域や家族のつながりであり、さらに本当の意味での個人の自由ではなかったかとも思われる。
大庭の言うように、私有の差異化を求める人は、身近な家族にも私有財産としての差異化を求める。ブランド好きな妻は夫により高い学歴、勤め先、収入、地位
を求める。夫をブランド商品のように考えているわけだ。もちろん夫も妻を私有物のように考え、相応の学歴、美貌、家事労働等を求める。そして親は子どもに有名な学校への進学と、良い成績を求めるであろう。それらはすべて、人間が私有財産化し、差異化のための手段と化していることの証拠だ。「私の夫」「私の妻」「私の子ども」という言葉遣いが、いつのまにか、マイホームやマイカーと同様の響きを持ってきてしまった、そしてそのことが現在のさまざまな家族問題を引き起こしているように思える。家族の成員が相互に私有しあうことで、相互に犠牲になり、自由を奪い合い、傷つけあい、そして結果
として家族がますますバラバラになったように見える。
しかも先述したように、物質的な豊かさの面においても、1970年代までは家族としての財産を増やしていたが、80年代以降は個人としての財産を増やす方向が強化された。つまり物質的豊かさを追求すればするほど家族が個人に分裂することになったのである。同時に、誰もが同じような物を所有することで「自分らしさ」が実感できなくなる、本当の意味での個人の自由が感じられなくなるという逆説も拡大してきたように思われる。
6. 脱私有的価値観の萌芽
では、どうしたらこうした私有主義的価値観の桎梏から逃れることができるのか?
私は、若者の行動や価値観を調べるのが仕事の一つだが、最近の若者の動向の中には、たしかに「脱私有」的な価値観の芽生えが感じられる。具体的には、フリーターの増加、フリマ(フリーマーケット)や古着、カフェの人気、地域で言えば高円寺、下北沢、あるいはアジアの人気などである。
日本労働研究機構の調査によると、1982年に50万人だったフリーターは97年には151万人と3倍に増えている。
不況の影響もあろうが、しかしバブルの時は、アルバイトがいくらでもあるから定職に就かないと言われた。バブルでも不況でもフリーターは増えたのだから、一貫しているのは「自分らしく働きたい」という若者の意識の拡
大であると考えるほうが論理的であろう。彼らに取材してみると、彼らが求めているのは「私有」によって呪縛された生活、「私有」のためにあくせくと働く生活よりも、「自分らしさ」であるということがよくわかる。つまり「私有」には関心が薄れているが、「私」への関心はますます強まっているとも言える。
もちろんブランド漁りが好きな若者もまだいるが、他方では手作りをしたり、古着を自分でリフォーム、リメイクしたり、中古バイク、中古車、中古家具などを改造したりすることも非常に好まれている(そうした若者向けにマガジンハウスは『マッツ』という雑誌を2000年に創刊した)。そして最終的には、自分の気に入ったものを置いたお店(カフェや雑貨屋など)を開きたいという人が非常に多い。サラリーマンやOL、専業主婦になり、次々と新製品を買うことで豊かさを実感した55年体制型の価値観が無効になりつつあることがよくわかる(とはいえ専業主婦志向の女性が多いことも確かであり、また一人の人間が対極的な価値観の間で揺れ動く傾向もあるので、一面
的な見方は危険であるが)。
最近は若者に新しいタイプのカフェが人気であり、また古着も多くの若者が着ている。
カフェ好きには古着好きも多いという相関も相当ある。私はカフェと古着についてデプスインタビューを中心とした調査をしたが(カルチャースタディーズ2001)、この調査からも明らかなのは、カフェは、店を作った人にとっては自分らしさを表現する手段であり、客にとっては自分らしさを失わないための空間であるということである。
また、古着が好きな理由として、他の誰も着ていないということが挙げられた。どんな高級ブランドでも、同じ商品を沢山の人が持っている事実にうんざりし、いかにして「自分らしさ」が表現できるかに関心が移行し、新品の既製服の中から探すよりも、古着の中から探すことのほうが「自分らしさ」が見つかりやすいという意識が拡大したのだ。
高円寺や下北沢、吉祥寺のような街の人気も、「自分らしさ」志向と連動している。高円寺の商店街のような下町を評価することを嫌う人もいるが、高円寺は下町だから人気があるのではない。異質混在的な性格が人気の要因なのである。
80年代は自由が丘のような街に人気があった。そこには欧米風のこぎれいな店が並び、「マリクレール通
り」と呼ばれる通りまであり、ヴェニス風の街並みを再現した区画もある。しかし現在は街を歩く若者の数は少なくなっている。そういう張りぼてのようなテーマパーク的な街にはもう感動しないようになっている。
高円寺、下北沢、吉祥寺と自由が丘の違いは、自由が丘が比較的均質なアッパーミドルクラスの(あるいはそうしたクラス志向の)人々の集う街であるのに対し、高円寺などは多様で異質な人々の集う街であるということだ。異なる時代の異なる文化がある。時代的にも属性的にも多様なものが重層的に存在している、多元的な文化空間だと言える。免疫力が高く、外部からの異物を拒否しないのである。
こうした異物を排除しない性格は、田園都市線などの郊外ニュータウンにはあまり感じられないものである。郊外ニュータウンは新しくて清潔だが、そうであるがゆえに異物を忌避する。そこは無数の「私」たちから構成される空間であるり、見知らぬ
他者の侵入を拒む。外部から見れば、そういう空間は排他的で閉鎖的で息苦しい。そしてそういう空間を支配する価値観こそが私有主義である。
しかし現代の若者はそうした私有主義の閉鎖性から脱出しようとしている。そうした若者を引きつけるのは、かつて豊かさの象徴だったアメリカではなく、まだまだ貧しいアジアである。そもそも現在の若者は1950〜60年代前半のアメリカン・ウエイ・オブ・ライフをテレビドラマなどを通
じて見たことがないので、アメリカを明るく豊かな国だと思っておらず、むしろ反対に、犯罪と不況の国というイメージが先に形成されているのである。だから、学生にインタビューすると、ロサンゼルスに行きたいなどという者には皆無であり、ロンドン、パリ、ニューヨークもあまり人気はない。ほとんどがベトナム、アジア、トルコなどに行きたいと答える。
アジアの街を訪れると、物売りなどで生きているストリートチルドレンに出会う。彼等の姿を目の当たりにすると、日本の若者たちは貧しさの中にある「生きる力」を強く感じるようである。また、活気のある市場のある街が好まれる。そこには、もはや日本では感じられない「根源的なもの」が感じられるというのである。
そのアジアに近い空気を持っているのが、高円寺や下北沢である。郊外にある大学の学生と一緒に高円寺を歩くと、自分の好きなタイと同じ雰囲気がするといって喜ぶ。と言ってもそれは、普通
のおばあちゃんが普通の商店街の豆腐屋で買い物をしている、といった何気ない日常風景を指しているにすぎない。が、考えてみれば、郊外で育ち、郊外の大学に通
う学生は、車に乗ってロードサイドのスーパーでパックされた野菜や肉を買い、本を買うのも、娯楽もロードサイドでする、というパッケージ化された生活しか知らない。そうした生活は便利かもしれないがお仕着せであり、単調であり、均質である。だからこそ、古い商店街のたたずまいに新鮮な感動を覚えるのだ。いろいろな人々が普通
に暮らし、生業がある、そういう街に惹かれ、癒しさえ感じるのである。
高円寺は、現代日本の主流の価値観とはずれている。特定の形を押しつけない、混沌を愛する、自分が自分らしくあることを是とする、そういう街だ。ひとことで言うと心理的な「隙間」が多いのである。オールタナティブの多い街と言っても良い。要するに、ほっとする。これまで自分がしてきた生活とは違う生活がある、価値観がある、いろいろな人間がいていろいろな生き方がある、だから焦る必要はないと教えてくれる、それによって自分が癒されていく、そんな街なのである。しかも、多様な個性が互いに無関係に孤立しているのではなく、互いの個性を認め合いながら、相互に関係し合い、つながり合い、影響し合うことができる。これは中流サラリーマンの核家族が多く住み、お互いが同調し、目立たぬ
ように暮らしながら、微細な差異を求めて生きている郊外、人間の価値がしばしば会社や学校の名前や所得の額や偏差値という一元的な価値で測られがちな郊外のニュータウンにはないものであろう。
縷々述べてきた最近の若者の風俗現象は、単に短期的な流行ではなく、より長期的な、近代社会的価値観、あるいは戦後の55年体制的な価値観の効力の喪失の時代が本格的に到来していることを示すものであると私は考える。それらの現象は、私有領域の拡大という高度成長期的な満足感、幸福感の減衰と同時に、私有という概念とともにあった「定住」「蓄積」「将来志向」などの概念の縮減をも意味するものであり、言い換えれば、55年体制が生んだ郊外家族の存在理由を突き崩すものでもあろう。
●注
注1: 田園調布、成城など、東京の戦前における郊外開発についても私は過去に『「東京」の侵略』
(アクロス編集室著、1987、パルコ出版)という本を編集しているので、それを参照していただきたい。
注2:労働省『職業名索引』には約30000種の職業名が記載されている。
注3 コギャル系女子の意識については
『ガングロギャル調査』を参照されたい。
●参考文献
アクロス編集室,1987,『「東京」の侵略』パルコ出版
カルチャースタディーズ,2001,『カフェ人気分析調査』
カルチャースタディーズ,2001,『古着人気分析調査』
カルチャースタディーズ,2001,『ガングロギャル調査』
本間義人,1987,『住宅』日本経済評論社
神奈川県,2000,『少子化に関する県民意識・ニーズ調査』神奈川県
三浦展,1997,『新人類、親になる!』小学館
三浦展,1999,『「家族」と「幸福」の戦後史 ー郊外の夢と現実』講談社
三浦展,2000,三浦展「高円寺、下北沢的世界。」『東京人』2000年12月号 三浦展,2001,
三浦展「少年犯罪と土建行政」『プシコ』2001年1月号、冬樹社
日本住宅公団,1975,『高層集合住宅居住者の社会学的研究』日本住宅公団
大庭健・鷲田清一編,2000,『所有のエチカ』ナカニシヤ出版
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