■家電

 家電とは家庭電化製品の略語である。あらためてそう考えると随分歴史的な言葉だ。電化された家庭・生活を当然のものとして享受している現在とは、明らかに異なる時代の言葉であるといえる。だが今、家電は家庭用電気製品くらいの意味で使われている。だから最近はパソコンも家電と呼ばれることがある。情報家電という言葉も使われる。しかし、家電という言葉の歴史的文脈を理解するためには、やはり家庭電化製品という意味でなければなるまい。家庭は電化されることによって初めて今日的な意味での家庭になったと言える。つまり、家電は家庭を生産の場から消費の場に変換する装置として機能したのであり、家庭を消費の対象にすらした=家庭を製品化した、とも言えるのだ。
 家電が家庭に普及するのはアメリカでは1920年代以降であり、1921年のフィラデルフィアの平均的な家庭では、アイロン60%、掃除機40%、洗濯機5%。冷蔵庫は30年代以降から普及し始めた(1)。
 しかし全国レベルで家庭に家電が普及したのは、やはり第二次大戦後のことであり、工場労働者でも郊外に一戸建て住宅が買えるようになってからである。当時はその住宅の中で多くのモダンな家電を使いこなすことが主婦の夢であると考えられた。家電は、郊外と家庭と電気を三位 一体化する装置だったのだ。
 アメリカの歴史学者ナイは第二次世界大戦後の郊外の爆発的発展の背景にあったものとして、電気という新しいエネルギーの発展があるとしている。電気にはそれまでの化石エネルギーにはない魅力があった。産業革命によって都市には騒音と煤煙と悪臭が充満していた。そのために緑豊かな郊外が求められたのだが、そこに電気という新しい清潔なエネルギーが登場した。電気が石炭に代わって家庭内の主要なエネルギー源になれば、家庭の中から煙や臭いが消えるだろう。無色透明な電気は家庭を清潔にするものでもあったのだ(2)。
 またスピーゲルは「戦後の郊外の核心をなす支配的な美意識とは防腐剤的な空間モデルであった」としながら、その防腐剤的な美意識の形成にとって電気が大きな意味を持ったと指摘している。「アメリカの19世紀の知識人は、”電気革命”が到来し、産業化による煤煙と騒音が電気の力によって浄化されるだろうと予言した。電気によって、工場の機械による汚染に代わり、新しい、より清潔な環境がもたらされるだろうと考えられた。・・・新しい電気的な環境は、つまるところ、都市の中の社会的な頽廃という、より大きな問題関心に結びつけられていた」。知識人も大衆も、電気を万能のイメージでとらえ、電気があれば都市の中の社会問題を一掃できるのではないかと夢想した。「移民問題や階級の対立といった問題までもが電気という魔法の力によって消滅する」とすら思われたのである(3)。
 無色透明で臭いも煙も出ない電気というエネルギーは、まさに魔法のエネルギーである。そしてそれは清潔な生活に不可欠なエネルギーである。清潔な生活を理想とする郊外には、だから電気が必須の条件である。洗剤をたくさん使い、台所も家中もぴかぴかにし、衣服をどんどん洗濯し、シーツを週に2度も洗う。そういう清潔な郊外生活のもうひとつの基盤が電気だったのだ。だからこそ、郊外に家を買うことは、同時に(論理的に必然的に!)その家電を買うことでなければならなかったのである。
 その生活はモダンそのものであった。すでに1939年に開催されたニューヨーク万博のウエスティングハウス社のパビリオンでは、主婦の手洗いと皿洗い機による皿洗い競争が行われ、結果 はもちろん皿洗い機の圧倒的な勝利で終わるのだが、その皿洗い機を使う主婦の名は「ミセス・モダン」であった。
 「ミセス・モダン」という名前に象徴されるように、かつて家電はただのモノではなく、モダンという夢を担っていた。テレビや冷蔵庫や洗濯機を買えば、家族は、将来の生活水準の向上と技術の進歩と明るい未来社会を信じることができた。つまり家電を買うことで、家族の成員一人一人が自己拡張感を味わうことができたのだ。今思えば、そこに確固とした家族があったから家電を買ったのではなく、家電を買ったから家族としてまとまることができただけかも知れない。
 しかし今、家電とは何だろうか。私は現在の消費やモノへの価値観の変化を考える上で、「家→個→街」という流れを理解することが重要だと考えているのだが(「ウォークマン」の項参照)、そういう時代の変化の中で、まさに家庭とともに発展した来た家電はどう変化するのであろうか?
 日本では1950年代から70年代初頭までが家電の黄金時代であった。そして70年代半ばから80年代には一人暮らしの若者でも家電をひと通 り揃えるようになり、いわゆる「個電」(こでん)の時代になった。そして現代はいわば「街電」(まちでん)の時代である。冷蔵庫をかついで街を歩く人はいないが、コンビニに冷蔵庫と電子レンジがある。街中に自動販売機もある。それらの街電を利用して飲食する人は、事実上冷蔵庫と電子レンジを携帯しているに等しい。情報を携帯電話や情報端末で得、食物を街の冷蔵と電子レンジから得る。そういう街電型のライフスタイルがすでに常態になっている。家電がモダンと20世紀を象徴するものだとしたら、ポストモダンと21世紀を象徴するのが街電ということになろうか。

●注
(1)〜(2)Nye, David E. "Electrifying America"MIT,1991
(3)Spiegel,Lynn'The Suburban Home Companion' in "Sexuality and Space" ed. by Colomina Beatriz Princeton Paper on
Architecture,1992

●参考文献
フリーダン,ベティ『新しい女性の創造』三浦富美子訳、大和書房、1965
柏木 博『家事の政治学』未来社
三浦 展『「家族」と「幸福」の戦後史  郊外の夢と現実』講談社現代新書、1999