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consumption006 2005年体制のマーケティング

1. 1955年体制から2005年体制へ

1955年体制=高度経済成長の時代
 高度経済成長とは、核家族の増加によって支えられていた。つまり、若い核家族が、四畳半一間の木造アパートか間借りの部屋に家族4人で住むような貧しい生活から、郊外にマイホームを買って、マイカーを買い、子どもを二人大学にやり、社会人にすることができる豊かな生活に変貌するまでのプロセスによって支えられていた。
 1955年に小さな子ども二人を抱えた核家族の生活を想像してみるがよい。その家庭にはテレビもない、洗濯機もない、掃除機も冷蔵庫もない。もちろんエアコンもクルマもない。扇風機だってなかっただろう。まだまるで戦前と変わらない生活だった。部屋も狭かった。四畳半に7,8人で暮らす家族すら多く存在していた。2DKの公団団地に家族4人で住めたのはまだまだ例外だ。
 こういう若い家族の担い手たちは、貧乏から抜け出すために懸命に働いた。戦勝国アメリカのような物質的な豊かさが生活の目標になった。そして会社は成長し、給料が上がり、次々と物を買うことができるようになった。物を買えば会社の売上はますます上がり、給料もまた上がり、ますます消費も拡大した。今か見れば奇跡のような成長システムがそこにあった。事実戦後日本の経済復興は世界から奇跡と呼ばれた。
 こうした高度経済成長期の社会体制を1955年体制と呼ぶ。それは、1955年に自由党と日本民主党という当時の保守二大政党が合同して、今の自由民主党ができたからだ。自由民主党の体制は1993年の細川政権まで38年間続く。その間、二度のオイルショックはあったが、基本的にはバブル経済の破綻までずっと経済成長は続いた。
 さてしかし、今後の日本にそうした成長が期待できるか、といえば相当困難だ。2006年からは人口が減る。1955年から約50年、半世紀を経て、新しい社会体制が始まろうとしている。それを私は「2005年体制」と名付けたい。

図:1955年体制と2005年体制の対比

1955年体制 2005年体制
<時代>
高度経済成長 高度成熟
<目標>
飢餓と貧困からの脱出のための物質的生活水準の向上 物質的豊かさの維持と精神的安心感の保証
<人口>
人口の増加
人口の社会移動の増加=都市集中
若い労働力の増加
人口の減少
人口の社会移動の減少
若い労働力の減少
<世帯>
標準世帯=若い核家族の増加
大家族の減少
中高年家族の増加
標準世帯=若い核家族の減少
単独世帯、夫婦のみ世帯の増加
<人口動態>
結婚件数の増加
2度のベビーブーム 子どもは2人
晩婚化 未婚者の増加
子どもは1.39人
高齢化
<経済・消費>
国富の拡大と平等な分配
=中流化
大量消費
国富の維持と所得格差の拡大
=階層化
最適消費


2005年体制とはどんな体制か

 1955年体制は、経済面では高度経済成長であり、アメリカ的な大衆消費社会を目指す体制だった。
 封建的、家父長制的な大家族から解放された国民は、若い労働力として都市に集中し、働き、結婚し、子供を2,3人産み、標準的な核家族世帯を形成した。
 その家族は消費の単位でもあって、家族の成長とともに物が購入され、消費され、それによって企業は売上を伸ばし、国全体の経済が成長し、かつその富が国民に平等に分配されることにより、一層家族は豊かになり、中流階級化し、さらに消費を拡大するという大量生産大量消費のシステムがそこに完成した。
 こうした高度成長的な1955年体制に対して2005年体制は、成熟した社会を模索する制度であると言える。
 若者は晩婚化し、未婚者が増加する一方で、出生数が減り、高齢化が進むことで、2006年以降、人口が減少する。
 子育て期の核家族世帯も減少し、代わって中高年を世帯主とする世帯が増え、その中でパラサイトシングルが相当な数を占める。
 他方、高齢者は次第に標準世帯から夫婦のみ世帯、単独世帯に縮小していく。
 よって消費は、55年体制のように、若い標準世帯の成長とともに拡大する、物中心の消費の比重が相対的に低下する。
 逆に、中高年の夫婦のみ世帯や単独世帯などの比重が増えるために、消費の中心もますます物からサービスへ移行していくであろう。
 55年体制が実現した豊かさの中で、現在の国民は生活への満足度をまだ維持しているが、しかし今後は、人口構造、世帯構造の変化の中で、国民は将来の自分や子、孫の生活などへの不安を感じるようになる。
 とすれば、さらなる生活の向上を目指し、無駄な物も買う大量消費よりも、自分の今の生活を維持するために本当に必要な物を買う最適消費が中心となるであろう。
核家族に依存してきたこれまでのマーケティング
 1955年体制におけるマーケティングは、若い核家族に依存してきた。つまり、昭和ヒトケタ世代から団塊世代までの世代が裸一貫から、結婚し、子供を産み、都市の郊外に家を建てて、車を所有し、子供を大学を卒業させて、就職させる、というプロセスでたくさんの消費をした、それによって経済が成長したのである。
 1973年の第一次オイルショックにより、日本の高度経済成長は一旦終わるが、その後経済を再活性化できたのは、ちょうどそのころ団塊世代が結婚、出産、子育て期に突入してくれたからだ。彼らの家族の成長とともに大量の消費が再び可能になったのだ。
 ところがこの団塊世代がついに子育て期を完全に終えつつある。就職難のため、彼らの息子や娘たちはまだ就職できていないかもしれないが、まあ、とにもかくにも大学は卒業した。形の上では今も核家族だが、子供は子供で個別の収集を持ち、支出するようになる。
 社会保障・人口問題研究所の予測では日本の人口は2006年をピークに減っていく(図)。つまり、普通に商売を続ければ自然に売上が減る時代になるのだ。これまでのように拡大するパイを相手にするのではなく、縮小するパイを奪い合う時代になる。必然的に競争はますます激化する。シェア争いはますます厳しくなる。
 人口という点でもう一つ重要な要素は、生産年齢人口(15〜64歳の人口)がすでに1997年をピークに減っているということだ(図)。生産年齢人口とは、就労可能な年齢層であり、働いて収入を得る人(労働力人口)はこのうちの一部ということになる。これが、97年から減りつづけているのだ。もちろん将来予測では今後はもう増えないことになっている。
 生産年齢人口が減るということは、収入があって消費をする人が減るということだ。 供給が一定で需要が減ればデフレになるのは最も基本的な経済原理だ。だから、もうこんなにデフレなのに、ますますデフレが進行する可能性もある。
 この状況では、消費が伸びないのは当然だ。この観点からも、人口問題が消費に大きな影響を与えていることは明らかだ。もちろん年金収入のある人が増えるわけだが、そこに過度に期待することはできない。年金は働いている人が払っているのだから、まずは給与のある人が増えないと問題なのだ。


4人家族は大家族

 家族の形態も変わっていく。「標準世帯」といわれる「夫婦と子供からなる世帯」が、もはや「標準」とはいえなくなりつつある。
 標準世帯が多数派となったのは、1955年以降のことで、55年時点では、「夫婦と子供からなる世帯」は約800万世帯だったが、75年には1500万世帯に達した(図:家族類型別世帯数の推移)。戦後の核家族化で、祖父母や親の兄弟(おじさんおばさん)までが一緒に住むような大家族が減り、「夫婦と子どもからなる世帯」=標準世帯が主流となったのだ。
 人口は減るが、今後も世帯数は増えているのに、なぜ消費は増えないかと、あるとき私は聞かれた。答えは簡単だ。「すでに物を持っている世帯が増え、持っていない世帯が減るからだ」。増えている世帯は高齢の「夫婦のみ世帯」や「単独世帯」で、これから物をどんどん必要とする世帯ではない。それに対して、いろいろの物が要りような子育て期の世帯は減っていく。
 これまで日本の消費を引っ張ってきた「標準世帯」は、1990年の1517万世帯をピークに、いま徐々に減少している。2000年は1490万世帯、2010年推計では1425万世帯だ。
 しかも、その中味は、1955年体制の時代のように若い子育て期の家族ではなく、子育て終了後の中高年の家族が中心となる。両親が60代で息子が30代のパラサイトといった核家族なのだ。
 若い家族は子供の成長に従って、家も大きくしたし、物も大きな物を買った。一台では足りず二台、三台買った。冷蔵庫はワンドアから4ドアになったし、クルマはカローラからクラウンになった。テレビは14インチから32インチになったし、子ども部屋にもテレビを買った。どんどん物を買い足したのだ。
 しかし、子育て終了後の家族は、そんなに物を買い足す必要がない。より大きな物を買う理由がない。買い換えるとすればより小さな物になるだろう。4ドアで400リットルの冷蔵庫は2ドアで250リットルになるだろう。クラウンはヴィッツやフィットになるのだ。
 子どもが少年に、少年が青年に、青年が結婚して子育て期に、というライフステージの移り変わりに合わせてモノを増やしていくという消費生活に依存したマーケティングは、もう捨てなければならないのである。


団塊世代ファミリーの退場

 標準世帯をさらに、世帯主の年齢別に見てみよう(図:世帯主の年齢別に見た夫婦と子供からなる家族の世帯数)。
 1970年には、35〜39歳を世帯主とする世帯は、約234万世帯だった。このときの35〜39歳は昭和ヒトケタ世代だ。これが、団塊世代が35〜39歳になる85年には約284万世帯となった。50万世帯も増加したのだ。団塊世代の作った標準世帯は、昭和ヒトケタに対して22%ぐらい多いのだ。
 これが2000年になると35〜39歳の標準世帯は約185万世帯となる。このときの35〜39歳は新人類世代と呼ばれる世代にあたるが、人口が減ったうえに、晩婚化で、標準世帯が団塊世代に比べてほぼ100万世帯も少なくなっている。
 2010年になると、第2次ベビーブーム世代が35〜39歳になるので、その年齢を世帯主とする世帯が約203万世帯となる。2000年より20万世帯増加する。20%以上の増加だ。その意味でこれから10年、第2次ベビーブーム世代の家族は重要な市場だといえる。
 だが、甘すぎる期待は禁物だ。結婚した時点での生活水準が1955年や1975年と現在とでは違うからだ。昔は四畳半に家族4人が当たり前。物はほとんどなかった。しかし今は新婚家庭でも2LDKくらいは当たり前。家電も揃っている。おそらく彼らの家にはすでに3ドア冷蔵庫も、28インチテレビも、DVDプレイヤーもある。もしかしてクルマは外車かもしれない。
 しかもビデオデッキやオーディオなどは、結婚する前からすでに持っていた可能性が高い。むしろ結婚を機に、夫婦それぞれが持っていた機器を一つに減らすであろう。たしかに新婚需要はあるのだが、昔ほど大きくないし、すでに大型商品を持っているのでで、家族の成長と共にたくさん物を買うとか、より大きな物、高額な物に買い換えていくといった理由があまりない。今後の成長率は少ないのである。


高齢の「夫婦のみ世帯」「単独世帯」の増加

 このように、2005年体制の消費は標準世帯中心ではあり得ない。もちろんそれは重要だが、これから増えるのは、高齢の「夫婦のみ世帯」や「単独世帯」であり、30〜40代の未婚者である。
 「夫婦のみ世帯」は、1980年は約446万、1990年は約629万、2000年は約883万、2010年は約1054万(推計)と右肩上がりに増えている(図か表を入れる)。
 「単独世帯」は1980年には約710万世帯だったが、2010年には約1370万世帯に激増する。2010年には「単独世帯」と、「夫婦と子供からなる世帯」(標準世帯)がほぼ同数になるのだ(図か表を入れる)。
 また「夫婦のみ世帯」を世帯主の年齢別に見てみる(図:夫婦のみの世帯・世帯主年齢別世帯数)。2010年の推計では、世帯主が75歳以上の夫婦のみ世帯が200万世帯を超えて、多数を占めるようになる。また世帯主が70〜74歳は約140万世帯、65〜69歳は160万世帯強、60〜64歳は160万世帯弱になると推計されており、「夫婦のみ世帯」の数は世帯主の年齢が高いほど多くなるという傾向が出ている。
 「単独世帯」もこれまでは20代前半が主流だったが、2010年の推計では、75歳以上の独居高齢者が最大多数になる。単独世帯=若者という図式はもう古い。むしろ、ひとり暮らしの高齢者に対して何が提供できるかを考えなければならない。


30−40代未婚者が約1000万人

 2000年現在の調査では、20〜39歳の人口3500万人のうち1833万人が未婚(男女計)だ。特に男性は1781万人のうち1040万人が未婚とその率が高い。ちなみに、女性は1730万人のうち793万人が未婚。大まかにいうと、20から40歳までの男女の半分は未婚ということになる。
 とくに最近増えているのは、30代以上の未婚者だ。30〜49歳の男性の未婚者は2000年は450万人だったが、私の推計では2010年には650万人になる見込みだ。同じく女性は、240万人から340万人に増加する。合わせると680万人から970万人になり、10年間で300万人の未婚者が増えると予測している。この人たちの消費行動も気になるところだ。
 また、2000年の国勢調査によると、親や親族と同居している若年未婚者(20〜39歳)、いわゆるパラサイトシングルの数は、1262万人で人口の約1割を占めた。1990年では1046万人だったので、この10年で216万人増加(増加率20.7%)したことになる。
 男女別にみると、2000年は20代の男性が491万人、20代の女性が476万人。30代男性が178万人、30代女性は118万人だった。とくに30代女性の増加が顕著で、1990年の58万人から約2倍になっている。


2 世代別消費動向の予測

2−1 リッチな高齢者=「ハッピーリタイア族」

 近年定年退職した60代前半の世代は、これまでのどの退職者たちよりも豊かな世代らしいと言われる。世代的には1936−40年生まれ。高卒なら1955−59年に、大卒なら1959−63年に就職だから、まさしく高度経済成長期の初期である。入社早々高度成長が始まり20代から30代前半にかけてはまさにモーレツサラリーマンだった。
 1973年の第一次オイルショックは33−37歳。課長くらいだろうか。これが最初の試練。しかしそれも努力で乗り越え、ジャパン・アズ・ナンバーワン時代を築いた。
 86年からの円高、そしてバブル時代は50歳前後。部長から取締役くらい。サラリーマン人生のピークをバブル経済の中で迎え、巨額のボーナスを手にした。確かにバブル崩壊後は苦しい時代が続いたが、97年以降の本格的な不況を最後に定年。最後までハッピーとは行かなかったが、しかし自分たちはバブルの処理をせずに退職できたわけで、いわゆる「ハッピーリタイア族」である。
 家計調査で世帯主年齢別の消費支出を見てみよう。1987年から2000年にかけて平均では21.4%の増加だが、60−64歳は24.7%。食費、室内装備・装飾品、被服及び履物、教養娯楽、こづかい、交際費も他の年齢よりも伸びが大きい。特に外食、室内装備・装飾品、和服、教養娯楽サービスなどは50−90%増と伸びが大きい。グルメを楽しみ、旅行を楽しみ、お出かけのために着物を買い、インテリアにも金をかけ、孫に小遣いをやるというリッチなライフスタイルが目に浮かぶ。
 それに比して、彼らの子どもである30代前半は、食料費が1割以上、家具・家事用品が12%、被服及び履物は17%減少という有様。そのぶん、住居、通信、補習教育の伸びが大きい。
 こうした状況から推察すると、巷間言われるように、子育て期の家庭が住居費、子どもの塾、携帯電話とインターネットに圧迫され気味なのに対して、ハッピーリタイア世代である祖父がそれを補い、孫あるいは子ども自身に小遣いをやったりしているという状況がたしかに裏付けられるといえそうだ。
 住宅取得に際しての頭金を親世代が相当負担しているというのも住宅業界の定説である。ハッピーリタイア世代で増えている和服への支出にしても、もしかすると娘や嫁へのプレゼントかもしれないし、室内装備・装飾品にしてもそうかもしれない。教養娯楽サービス費も子ども夫婦や孫と一緒に旅行である可能性は高い。高度成長期に蓄えた資産を遺産相続という形ではなく前倒しで子どもの世代に移転しているわけである。
 総務庁統計局の「全国消費実態調査」によれば、世帯人員2人以上の一般世帯1世帯当たりの貯蓄現在高は1485万円で,年齢階級別では30歳未満で373万円, 60歳以上では2200−2300万円である。
 こうしてみると、最近議論されているように、親の遺産の生前贈与という施策が非常に有効なものと思われてくる。1億円の預金に年間2万円の利子しか付かない今、お金の使い方を知らない高齢者にお金を使わせるより、むしろお金をもっとも必要としている子育て世代にどんどん資産を移転すれば消費を押し上げる効果は少なくないであろう。


2−2 団塊世代男性

 団塊世代とは1947〜49年生まれの約800万人を指す。その前後の46年生まれ、50年生まれを合わせると、2000年でも1100万人がいる。日本最大のボリュームを持つ世代だ。
 では彼らの特徴とは何だろうか。団塊世代は、その人口の多さゆえに、価値観の転換という定性的な変化をはっきりと社会全体に感じさせることができる世代だ。
 私はそうした彼らの今後の生活消費のキーワードを「個人に帰る」であると考える。 つまりこういうことだ。団塊世代は戦前から戦後への価値観の転換を象徴する世代である。その転換とは、国家重視から個人重視への転換、あるいは家、結婚、性、政治、宗教、職業等々からなる諸制度からの個人の解放と自由の実現という目標に向かっての価値の転換であった。
 しかし、まだ経済的に貧しい社会で社会人になった団塊世代は、その価値の転換を十分に実現することができず、結果として既成の社会制度の中に組み込まれていった。
 特に、ほとんどすべての団塊世代が共通して組み込まれた制度とは、結婚・家族という制度である。彼らは、あまりに疑いもなく結婚し、子供を産み、家族を作った。結果として、彼らは家族を単位とした消費を拡大し、学歴競争社会をより強固なものにしてしまった。
 具体的には、結婚したら家具を買い、家電を買い、クルマを買い、子供が大きくなったら郊外に一戸建てを買って子供に個室を与え、受験勉強に駆り立てる、という形で、戦後の高度成長期の社会制度をより強固なものにしてしまった。そこに団塊世代は忸怩たる思いを持っている。
 だからこそ、定年退職を契機にして団塊世代は個人に帰ろうとするだろうというのが私の予想だ。そして個人に帰ったとき、彼らは何をするか、という観点から、消費の問題も考えていくのがよいだろう。


2−4 団塊世代女性

 団塊世代の女性は今、子育てからほぼ完全に解放され、非常に自由な時間を満喫している。夫の仕事上の不安と親の介護さえなければ、まあままかなり満足度の高い豊かな生活をしていると言える。そしてそこからは、男性と同様、個人への回帰という動きが感じ取れる。
 母親・妻といった家庭人の立場から、ひとりの個人、「娘」に戻って、独身時代のように街を歩き、旅行をして楽しみたいという動きが出てきているのだ。街を見ると、銀座も横浜もお台場も丸の内も50代以上の女性が非常に多い。代官山も多い。原宿にもいる。そして驚くのは下北沢にも団塊世代か、それよりちょっと下くらいの世代の女性がよく歩いているということだ。
 銀座や代官山はおしゃれで、リッチな街だから、50歳前後の女性が行きたがるのはわかる。しかし下北沢はお世辞にもきれいな街とは言えない。ブランドの店もない。あるのはアジア雑貨屋とかアジアンレストランとか、夜なら飲み屋とか、どちらかというと男臭い店とか不良っぽい店が多い。しかしそんな下北沢にも50歳くらいの女性が3人連れで歩いている。
 考えてみれば、団塊世代からその下のポスト団塊世代にかけての女性は最初のアンノン族だ。萩、津和野、鎌倉、軽井沢などに友達同士で旅行した世代だ。軽井沢ではテニスもしたという世代である。そういう意味では現在の女子大生、OL文化の元祖だとも言える。だから町歩きは慣れているのだ。その行動範囲は若い女性とさして変わらない。新しい店ができれば見たいし、おいしい物があれば食べたいのである。
 以前、団塊世代の女性向け雑誌研究をしたときにも、こうした傾向は見えてきた(トッパン生活文化研究室との共同研究「団塊世代女性向け雑誌研究」『FLAME IN』VOL.6所収 1999)。団塊世代女性を対象に雑誌についてのアンケートをとったのだが、若い女性向けの街情報誌である『Hanako』や旅行雑誌の『るるぶ』が団塊世代女性にも多く読まれていたのである。
 ファッションについても同様だ。50代だから50代らしくとは思っていない。実際、最近、若い女性向けの店に50代の女性が入っているのをよく見かける。
 彼女たちは今どきのトレンドをさりげなく取り入れた物が着たいのだ。が、百貨店にある服はどこか古くさい。そこで若い女性向けの店に入るのだが、おそらくサイズが合わなくてあきらめることになる。アパレルメーカーも小売業も雑誌などのメディアも、団塊世代女性が「今を生きたい」と思っていることに十分に対応していないのである。
 もちろん単に若ぶりたいということではない。年相応の落ち着き、本物指向も欲しい。そのうえで自分らしさや流行も表現できる物が着たいのだ。
 また、同調査によると「これからやりたいこと」は、旅行、パソコン、スポーツ、ボランティアと活動的である。旅行は過去1年間に45%が海外へ、88%が国内で旅行している。夫婦で一緒にやりたいことでも旅行が37%である。またパソコンをやりたい人が多いことは、活動のための情報収集意欲が強いことを示している。
 過去1年の文化活動は、映画鑑賞が81%、展覧会が73%、コンサート64%、観劇が55%。オペラ・ミュージカル・バレエも34%あり、比較的高額な文化活動についてもかなり活発であると言える。
 インターネットの利用については、すでに利用しているが21%にのぼり、これから始めたいも46%と半数近い。以上2つの合計67%の人だけにインターネットでしたいことを聞くと、情報収集が67%、メールが46%であり、ホームページや口コミを通じた情報収集手段としてのインターネットへの期待は高いと言える。 


2−5 団塊世代がこれから買う物

 では、団塊世代がこれからどのような消費行動をとっていくかを考えてみよう。
 たとえば夫婦のみ団塊世代向けの自動車などはもっと提案されてよい。トヨタのプレヴィス、日産のティアナあたりはそんな狙いであろう。子供が小さいころはワンボックスやRV車に乗っていたが、子供も巣立ち、これからは夫婦だけで、若いころにはできなかったドライブを楽しむという方向に向かうだろう。
 しかし、もう一方では、孫も乗せて走りたいということから、7人乗りの需要も伸びるという見方もある。団塊世代といえども人の情に流されて、子供と孫をいっぺんに乗せたいという需要が生まれるのだ。私の叔父もそうだ。学校の校長だった叔父は、かつては、それなりの風格を求めてか4ドアセダンに乗っていたが、退職してからはセブンシーターに乗り換えた。私の予想では、実は7人乗りを買う団塊世代の方が多いのではと思っている。
 シルバー夫婦の乗るスポーツカーなどの需要も増えるかもしれない。60代の夫婦が乗ってカッコイイ車が案外ない。例えば、ジャガーに乗っているロマンスグレーの夫と妻を想像すると、相当カッコイイ。自分たちなりのライフスタイルを持ったシルバー夫婦が乗りたくなるような国産車は、これからの狙い目かもしれない。そういう意味では新しいチャンスがある。
 また、女性ドライバーをターゲットにした車の市場も考えられる。団塊世代の女性はそれ以前の女性に比べて運転免許の保有率が高い。今の70歳の夫婦なら、妻が運転して夫が助手席ということはまずないだろうが、団塊世代なら、常に妻が運転、あるいは夫と交代で妻が運転するということも十分考えられる。団塊世代の女性のための高級車があってもよい。
 東京では、小型のベンツを運転している女性もたくさんいる。女性なのにではなく、女性だからこそ、ベンツの安全性を評価しているのだ。小型のベンツは女性のための車を訴求した結果のよい例である。しかし、ベンツは値段が高く大衆向けではない。かといって、マークIIやスカイラインではちょっと男性的すぎる。リーズナブルな値段の国産車で、ベンツほどではないがある程度高級感があって、男性が運転しても女性が運転してもおかしくないデザインの車があってもよいだろう。
 また団塊世代を狙うとき重要な視点はリバイバルだ。リバイバルはもはやブームではなく、全世代に共通する消費スタイルになっている。特に、団塊世代に対しては、その世代がなつかしいと思うとか、商品名を聞くだけで思わずよだれが出てしまうというブランドを復活させるのは重要な戦略の一つだ。
 団塊世代は小学生になったころから、高度経済成長期に入る。物心ついたときに消費社会に入っていった最初の世代だ。その前の世代である昭和一ケタ世代は、少年時代の思い出は、戦争から焼け跡で、回顧する時代が消費の対象にならない。スイトンや国民服が懐かしいといっても、それは消費の対象にならないのだ。せいぜい美空ひばりのベストアルバムぐらいだろうか。
 しかし、団塊世代以降の世代からは、回顧するものが消費の対象になる時代だ。ビートルズや、アイビーファッション、グループサウンズといった、彼らが懐かしいと感じるものが消費の対象になるのだ。懐かしい、昔はよかったという感情を掘り起こすことによって消費を喚起することができる世代は、団塊世代以降だ。
 日産はフェアレディZを復活させた。これに反応するのは、若いころにこの車にあこがれたけれど手に入れられなかった団塊世代だ。スポーツカーといえば若者が欲しがるという固定観念はあたらない。今の若者でスポーツカーに関心があるのは少数派だ。ましてやフェアレディZと聞いて胸が高鳴るのは団塊世代だろう。スカイラインクーペも出た。スカイラインも団塊世代の憧れの車の代表だ。30年前のモーターショーのアンケートでは、スカイラインは若者に人気ナンバーワンだった。
 このように、青少年期に何にあこがれ、何を買ったか、学生時代、青年時代と、成長するに従ってそれはどう変化したか、という消費ヒストリーが描けるのは団塊世代からだ。
今何が売れているかだけでなく、対象とするターゲットが今まで何を買ってきたか、欲しいと思っても買えなかったものは何かということを分析するのも、マーケティングの重要な観点だ。
 団塊世代を攻略するうえで、リバイバル消費と並んで大切な観点としてはクオリティ消費が挙げられる。
 今日本は中流社会で、ほとんどの家はどこからどう見ても上流という家庭はあまり見かけなくなった。70歳以上の人が当主の場合は、本物のお宝や重厚な調度類のある家もあるが、60歳以下の当主の家庭では、画一的な建売住宅に住み、忙しく仕事に追われた生活を送ってきたせいか、そのような本物志向の家はあまり見かけない。
 ステレオが一番分かりやすいが、60年代から70年代に作られたステレオは家具調ステレオといわれ、サイズも大きく立派で応接間に置かれた。しかし、その世代で手狭な家に住んでいる人は、そういうものを買わなかった。
 今はそのような大きなものは珍しくなって、もっとコンパクトにより高い質の音を楽しむという時代になった。今では、9800円のラジカセでも音はよくなっているので、70年代の家具調ステレオよりもしかしたらよいかもしれない。
 しかしそれらは、しょせんラジカセにすぎないので、本当に音楽を楽しもうと思ったら、物足りないだろう。50代60代になったら、本当のものを楽しむという域に入っていくだろう。団塊世代は若いころからいろいろな音楽を聴いているし、自分で演奏する人も多い。ビートルズ世代、フォーク世代、ジャズ世代で育った人達だ。彼らが50代60代になって息子のお下がりのラジカセで音楽を聞くのではマーケティング的に機会損失と言わざるをえない。
 クオリティの高い機器を持てば、もっとよいソフトを見ようと思うようになる。それで、ソフトの市場もより活性化する。クオリティの高いハードが質の高いソフトの消費を誘導するのだ。そんなことを考えていたら2002年10月、「MONOマガジン」や「pen」が高級オーディオ特集を相次いで組んだ。やはり時代はそちらに向かっているのではないか。


2−6 団塊ジュニア世代

1) 自己最適化
 団塊ジュニア世代の価値観のキーワードは「自己最適化」であるというのが、ここ数年の私の持論だ。その背景にはやはり戦後の消費社会の歴史がある。
 昭和ヒトケタ世代から団塊世代までの価値観は「グッドライフ」志向だった。グッドライフとは1950年代の黄金時代のアメリカの生活を指す言葉である。つまり、アメリカの中流家庭のような豊かな生活を目指そうという志向が昭和ヒトケタ世代から団塊世代が若かった1950−70年代にはあった。
 次に、団塊世代がニューファミリーを築いた70〜80年代になると、消費の志向は「ベターライフ」志向になった。これは、70年代前半までにほぼグッドライフの基礎ができたので、よりよい「ワンランク上」の生活を目指すという価値観である。
 具体的には、より質の高い商品、ブランド品、本物志向、高級志向の消費志向である。
クルマでいうと、コロナをクラウンに買い換えるだけでは足りず、ベンツを買うという価値観。持ち物も国産のバッグからルイ・ヴィトンのバックにランクアップしようという価値観だ。この志向がバブルまで続いた。
 さてその後は、どうなったか。グッドライフ、ベターライフときたので最後はザ・ベストライフとなりそうだが、実際は「みんなにとって最高」というものは求められていない。特に若い世代はそうだ。それよりも自分にとって一番よいMy Best Lifeがキーワードになるのだ。
 人から見てどうではなく、自分にとって最適な生活というのが重視される。だから、生活全体をレベルアップしようという志向は今の若者にはない。
 たしかにロレックスを買うこともあるが、生活全体の水準は上がらなくてもよい。アンバランスだが、自分がよければそれでよいのだ。

2)自己関与性
 しかし「これが自己最適化だ」という商品は作りにくい。そこで重要になるキーワードが「自己関与性」だ。自己関与性とは消費者が自分で商品に関与することで、自分にとって最適なものを作っていくということだ。
 企業側が「これが最適です」と提案しても、消費者が乗ってこない。それより7割ほどできている商品を出して、「あとの残りの部分は、自分で加えていってください」という余地を残しておくほうが、消費者にとっては魅力的なのである。
 これは無印良品の手法である。だから無印好きの第二次ベビーブーム世代、それから真性団塊ジュニア世代にとってもわかりやすい手法のはずだ。無印良品というのは面白い商品で、同じ物なら無印が一番良いといって買うものではない。それなのになぜ買うかというと、他の商品がくだらなすぎるからだ。
 たとえば電子レンジを買いたい。ファックスを買いたいというとき、電気屋に行くと変なデザインの商品しかない。なんだかごてごてしているし、字はでかいし、ロゴはセンスが悪い。機能も余計なものが多い。とても自分の部屋に置きたくない。
 じゃあ、しょうがないといって無印に行くと、無印のレンジやファクスはシンプルでかっこいい。といって声高に存在を主張するようなデザインでもない。ということで無印を買うのだ。
 つまり無印は、未完成の素材のような商品なのである。だから使う側が押しつけがましさを感じないで済む。足りない部分があれば、後は自分で手を加えて何とかするよ、という使い方できるのだ。

3) 限定品戦略
 団塊世代のように、かつて欲しくても物がなかった人達に物をほしがらせるのは簡単だ。新人類世代も似たような物で、隣の家にはカラーテレビがあるが自分の家にはないという経験をしているので、自分で自分が欲しいものがわかる世代だ。
 しかし、すでに多くを持っている人間は、そもそも自分が何が欲しいかをあまり自覚できない。そういう彼らに物をほしがらせるには、意図的に「これがない」と感じさせるしかない。あえて飢餓感を創出する必要があるのだ。
 その手法の一つが「限定品」という売り方だ。ナイキのシューズで、そのモデルは今回は世界で1000点しか生産しないといった方法もその例だ。裏原宿のショップのTシャツもそうだ。「500着限定」として売れば、今しか買えないという状況が発生し、「今買おう」と思わせる。オイルショックのときのトイレットペーパーと同じで、ある種のパニック状態を作り出すのだ。
 お菓子についている「おまけ」のブームやペプシのスターウォーズ・フィギュア、子供たちに人気のトレーディング・カードもこのやりかただ。いつも同じおまけではダメで、中になかなか手に入らないものを混じらせておく。レア感、希少感を組みこんでいかないと、この方法は魅力的にならない。
 
4) デザイン戦略
 モノがあふれた環境で生きている若い世代に物を買ってもらうのに重要な要素は、限定消費と並んでデザイン力の強化がある。
 日本の企業のデザインマーケティングは遅れているように思う。日本の企業は製造業が中心で、技術偏重の風土がある。中味は同じものを、デザインが変えて買わせるという発想は、まじめな技術者からは出てこない。しかし、デザインは本来、マーケティングにとって非常に重要な要素である。
 一方で、デザインにこだわりがありすぎると、数多くは売れないというのも事実だ。デザインが先鋭的過ぎると、消費者は自分にとってのよいもの、自分のためのものではないと感じる人が増えるからだ。デザインを選ぶときに、消費者にとっては自分にあっているかどうかが重要なのだ。
 その意味で優れていると思うのはやはり無印良品だ。これを第二次ベビーブーム世代は、高校生のころから現在に至るまで支持し続けている。
 無印良品のデザインは基本的にシンプルで、余計なものがついていない。センスの悪い色をつけるぐらいなら白か黒でいいじゃないか。センスの悪いロゴをつけるぐらいなら、ないほうがいいじゃないかという、引き算の発想だ。このデザインコンセプトが、ニセ団塊ジュニア世代のテイストに合っていたのだ。
 しかし、この世代が年齢的に30代に入って、無印良品を指示しつづけるかというと、私は疑問である。30代以降になると、持ち物にもある程度は年齢や収入に応じた風格を求めるようになってくるのではないか。もう少し、高級感や大人っぽさなど、自分にふさわしいものがほしいと思うのではないか。
 そこで出てくるのが「無印プラス」という発想だ。これはさまざまなメーカーのデザイナーの方に言っていることだ。基本的には無印良品的なシンプルなものに、何か一つ高級感や個性を演出するデザインである。例えば、性能、サイズ、素材などで少し高級感を出すというコンセプトだ。
 その発想を体現した例の一つが、先述のWiLLプロジェクトのラインナップとして発売されたWiLLファクスだ。このファクスのデザインはレトロな雰囲気を打ち出した同プロジェクトの家電製品とは異質で、ややスタイリッシュなデザインになっている。それまでのファクスはどのメーカーのものもボタンが大きくごちゃごちゃしたデザインだったのに対して、WiLLファクスはボタンを完全に隠し、実にすっきりとしたデザインを提案したのがヒットにつながった。まさに無印プラスなのだ。
 
5)住空間の多様化
 団塊ジュニア世代の関心はおそらく今後住空間に向かうだろう。日本の消費生活は1960−70年代がファッションの多様化の時代だった。ちょうど団塊世代が若者だった。ミニスカートもパルコもこの時代だ。つぎに80−90年代はグルメ時代。つまり食の多様化の時代だ。これをリードしたのは新人類世代、特にHanako族と呼ばれたOLたちだ。
 そして2000−2010年代はおそらく住生活の多様化が起こるはずだ。なぜなら人口の減少、核家族世帯の減少により、住宅のストックが過剰となって価格が低下する。他方、家族形態の多様化により消費者は自分のライフスタイルに合った質の高い住宅なら多少高額でもお金を惜しまなくなる。
 第2次ベビーブーム世代団塊は、親が買ったマイホームで育った。個室も小学生時代から与えられてきた。だから、ただ家が買える、部屋があるというだけでは、彼らは満足しない。多様な間取りや内装、外観が選べることなど当然だ。自分で設計したいというものも少なくないのだ。
 事実、男性向けの雑誌では住宅建築特集がすでに定番だ。コーポラティブハウスのように集合住宅でありながら、間取りや内装、設備をすべて選べる住宅も30代に人気だ。このトレンドが、第2次ベビーブーム世代ではもっと強まるだろう。また、古い住宅を大改造するリノベーションも流行してきた。
 これは自己関与による自己最適化ビジネスだ。できたものをただ買うだけではなく、住宅という物に対して自分で積極的に関与し、設計から施工、竣工までのプロセスを楽しみ、最後に自分にとって最適な住居を手に入れるのだ。

マーケッタージャパンWeb-siteより


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