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What is culturestudies?

001 マイホームレス・チャイルドにとっての都市
−−「ファスト風土」化した郊外国家を超えて

1.郊外化とマイホームレス・チャイルド

1990年代後半以降、従来の価値観とは明らかに異質な新しい若者が生まれてきた。彼らは都市の中にたむろし、地べたに座り込み、歩きながら物を食べ、携帯電話でメールを送り合い、路上でフリマをし、ダンスをし、スケートボードをする。私はこうした若者を「マイホームレス・チャイルド」と名付けた。*1
マイホームレスという言葉に私が込めた意味は重層的である。まず、彼らが団塊世代を中心とするマイホーム主義の家庭で育ったにもかかわらず、理想のマイホームのイメージとは裏腹な、離婚、家庭内暴力など、家族の崩壊を実感しながら育ったということ。第二に、子供時代から個室を与えられ、テレビ、ステレオ、ゲーム機など自分専用のメカに囲まれたうえに、コンビニ、外食産業、冷凍食品、レトルト食品などの普及のために家族がなくても暮らせるような環境で育ったということ。第三に、家族の根底にあるはずの風土、故郷(ホーム)としての地域社会が空洞化したために、かつてのように伝統や歴史の影響を受けることが少なかったということ。第四に、親の転勤で少年時代に何度も引っ越しをした経験を持つ者が多いため、従来の意味での故郷を持たず、やはり特定の地域に固有の伝統や歴史、あるいは人間関係に縛られないということ。こうした要因が複合した環境の変化が彼らをして「ホームレス的」な存在にせしめたのである。


駅のベンチで食べる

その意味で特に重要なのは過去20年ほどの間に日本全国で急速に進んだ郊外化である。日本中の地方の郊外や農山村部道路網の整備が進み、これにより地方でも団地やニュータウンがたくさんつくられ、特に比較的若い世代の核家族は郊外に多く住むようになり、逆に古くからの市街地は衰退した。都市的なコミュニティも、農村のコミュニティも力を失い、郊外のライフスタイルが広がっていったのである。
ちなみに、しばしば地方が近年都市化したという言い方がされることがあるが、近代における都市化とは、基本的には農村から都市への人口の集中を指す。工業化により都市で大量の雇用が生まれ、雇用を求めて人口が増加し、消費が拡大し、新しい生活様式が生まれ、さらにそれが次第に地方に波及してていくことである。要するに、今風に言えば、人、物、金、情報の都市への集中が都市化だ。
だが、近年地方に起きたのは、その意味では都市化というよりは郊外化である。地価の安さなどのために、住宅地のみならず、工場、企業、大学、行政施設等が郊外に新しく建設されるようになり、定住人口も就業人口も増え、結果、商業施設、娯楽施設なども多数立地するようになった。かつて都市部に住んでいた商工業者は、職住一致の生活をやめて、郊外のニュータウンにマイホームを求めた。過疎地の農山村に住んでいた人々も郊外の商業、娯楽施設などを利用するようになり、またしばしば彼らも郊外のニュータウンに移住するようになった。
かくして、郊外に住んで、郊外で働き、マイカーで通勤し、マイカーで全国チェーンのロードサイドのショッピングセンターやコンビニに行って買い物をし、ファミリーレストランで食事をし、ゲームセンターやカラオケで遊ぶといった郊外型の消費社会が全国の地方で普及したのである。つまり、人、物、金、情報の都市から郊外への分散が起き、その分散したネットワーク状の郊外群が都市以上に力を持つようになったのである。アメリカはすでに30年ほど前から「郊外国家」Suburban Nationと言われているが、日本も郊外国家化したと言えるし、特に地方の実態を見ると、その認識を深くする。
日本中のどんな地方でもコンビニは年中無休、24時間営業だ。ショッピングセンターも年中無休、深夜まで営業するところも珍しくない。元旦からパチンコ屋もカラオケも開店する。かつての落ち着いた地方の暮らしは変貌した。地方は、郊外という「消費するための機械」とも言うべき空間によって支配され、都市と同様、いや都市以上に、24時間、365日、物を買い、娯楽を楽しむ空間となったのである。実際、地方の都市は夜8時ともなればほとんどが閉店するが、郊外のショッピングセンターは夜11時まで営業している。東京など大都市圏では、都市と郊外の力が拮抗しているが、地方では圧倒的に郊外が勝っている。
 このように急速に開発されて誕生した郊外を私はハンバーガーなどのファストフードになぞらえて「ファスト風土」と呼んでいる。*2 長い固有の歴史を持つ、古い都市や農村とはまったく違う、促成栽培された、大衆的だが味気のない風土が、日本中に増殖していったのだ。そのファスト風土は、たしかに古くさい伝統の束縛からは自由かもしれない。だがそれは、ハンバーガーチェーンがそうであるように全国的にネットワーク化されているので、きわめて均質で、画一的で、無個性である。
他方、各地方固有の個性をもった歴史や伝統の力は−−それが良いものであったかどうかは別として−−衰退し、結果、精神的な土台としての故郷(=ホーム)を持たない若者が日本中に大量に登場することになった。それこそがマイホームレス・チャイルドなのだ。


日本中の地方が郊外化した。(東北新幹線からの風景)



2.消費共同体としての家族の盛衰

本来マイホーム主義とは、高度成長期型の価値観であり、政治的な意味での冷戦時代=1955年体制時代に対応していた。それは経済的にはアメリカ型の大衆消費社会を目指す体制であり、家電、自動車、郊外の一戸建て住宅等々の消費財(マイホーム、マイカー)を私有財産として所有できるという期待を国民に与えて、国民を勤労と勉学に向けて動機付け、かつその消費財を家族同士をひとつにまとめあげる紐帯として位置付けるという思想であった。つまりその時代の家族とは、ひとことでいえば「消費共同体」としての家族であったと言える。
高度成長期以前の日本は基本的には農業社会であり、多くの国民は生産共同体としての地域社会の中に埋め込まれていた。また、下町の商工業地域でも、生産、労働を基盤とした共同体が存在していたと言える。しかし55年体制の中で、急激な勢いで日本人は、農民、自営業者などから雇用者、勤め人へ変わった。それに伴って家族が核家族化し、職場から離れた郊外住宅地に住むようになり、生産を基盤とする地域共同体から切り離され、根無し草になっていった。
しかも戦後的な家族では、その成員が分業化して共同性を失っている。つまり、家族が一緒に働くことはなくなり、夫は会社で仕事、妻は家事と育児、子供は勉強というように、家族それぞれが別の生活時間と生活空間を生きるようになった。家族の共同性は核家族になった時点で失われていたのである。だからこそ、その根無し草の家族を結び付け、共同性らしきものを産み出す仕組みとして消費が必要なのであった。
つらい仕事も、単調な家事も、つまらない勉強も、より多くの物を消費し、より高価な耐久財を購入することの喜びによって補償された。妻は家事の代償として家電や化粧品や洋服を買い、子供はテストでいい点を取ればラジカセを買ってもらい、志望する大学に入れば自動車を買ってもらった。すなわち、家族は「より豊かな生活」という消費あるいは私有の目標を共有することで一体感を味わうことができたのである。
もちろん男性は家族以前にまず「会社共同体」に吸収された。そして結婚相手も社内で見つけ、社宅に住み、社内運動会などによって家族全員も会社共同体の一員となった。さらに、家族は会社および会社が属する企業グループが作り出す製品を買うことによってさらに会社に貢献した。三菱グループの社員は、三菱銀行に預金をし、三菱地所の家を買い、三菱自動車に乗り、三菱電機の家電を買って、キリンビールを飲んだわけである。
つまり、会社共同体と消費共同体ががっちりと結びつくことで、地域に根ざした生産共同体から根こそぎになり、根無し草となり、分業化した家族に、新しい消費共同体という役割を付与したのである。それは実に見事なシステムだったと言える。
しかし、1970年代後半になって、日本が経済大国となり、「豊かな社会」が実現されると、消費共同体としての家族は次第に機能しにくくなった。総理府の「国民生活に関する世論調査」によれば、60%の国民が自分を「中の中」の階層だと感じ、「中の上」、「中の下」も合わせると、9割が自分を中流だと思うようになった。
そのことは、物の私有という価値を軸として消費共同体を形成し、一億総中流化を目指していた家族にとって、軸そのものが失われはじめたということを意味する。貧困からの脱出、豊かな生活を目標にする時代は終わった。しかしそうであればこそ、家族が一丸となって働き、勉学にいそしむという図式も崩れ始め、家族の目標喪失状況が生じたのである。
とはいえ、結婚して子供ができると郊外にマイホームを買って住むという1955年体制型のライフスタイルは、その後も残った。というより、その後は大都市圏の郊外だけでなく日本中の地方の郊外でそのライフスタイルがますます普及した。
地方の家は広い。マイカーも一家に3台、4台ある。その意味で、地方で実現した郊外生活は、東京の郊外生活よりも遙かにアメリカ的である。消費共同体としての意味を弱めたマイホームの中に、ただ物だけが・・・・・意味もなく豊富にあるという環境が生まれた。勤勉さへの対価として物が得られるという目標達成的な価値観は薄れ、物はあらかじめつねにすでに豊かに存在している。そういう環境で現代の若者は育ってきたのだ。
近年フリーターが増加している背景には若者の意識の変化があるといわれるが、このようにあらかじめ豊かな環境で育った現代の若者が、物や金のために働こうとしないのは当然である。彼らは生まれてこのかた物を得るために勉強をしたり、働いたりしてきたことは一度もないのだ。そんな努力をしなくても、物は最初からあったのである。
極端に言えば、現代は働かなくても生きていける社会だ。コンビニで10時間バイトをすれば電子レンジが買えるし、20時間働けばDVDプレーヤーが買える。100時間働けばニューヨークに旅行ができるのだ。高度成長期のように、物や金のために働こうという意識が生まれるわけがないのである。


写真 地方では1人1台マイカーがあるのが当たり前



3.若者にとっての都市の魅力とは?

このように、アメリカ的な豊かな生活が全国津津浦々に普及したために、今、戦後の日本を動かしてきた消費、所有、あるいは私有という原理の意味が大きく変質している。あるいは、その力が弱まりつつある。
では、消費や私有に代わる原理は何なのか? 結論から言えば、それは「関与」ではないだろうかと私は考えている。
たとえば、最近、若者の間で衣服や雑貨の手作りが流行し続けている。古着をリフォームしたり、他の布と合わせてリメイクしたり、ビーズでアクセサリーを作ったりし、それをフリマで売ったりする。それは、ただ物を所有するだけでなく、自分が物に対して自由に関与することに喜びを見いだし、かつ関与することで自分と他者との関係を形成し、他者から承認を得ようとする態度であると言える。
そして、都市に対する態度も、所有から関与へと変化している。おしゃれなファッションタウンで買い物をするだけでは満足できず、街に対していかに自分が関与できるかが若者の満足度を決めるようになっている。逆に言えば、関与する余地のある街の人気が高いのである。
ではどんな街が人気なのか。若者にインタビューしてみればすぐにわかるが、郊外のニュータウンが好きだという者はほとんどいない。「TOKYOWALKER」などの雑誌の人気投票で上位に来るのは、高円寺、吉祥寺、下北沢といった街だ。その理由としては以下が考えられる。

1)異質な物、異質な人が混在している。
豊かな社会で育った現代の若者にとっては、物が単に大量に存在することではなく、多様で異質な物が存在することが重要である。よって、異質な物が混在した街が好まれる。高円寺、吉祥寺、下北沢といった街には、ロック少年もいれば、サラリーマンもいる。商店街のおばあちゃんもいれば、アーチストもいる。アジア好きもいればアメリカ好きもいる。金持ちもいれば貧乏な人もいる。年齢、職業、価値観、生き方などが多様である。こうした異質な物、人の混在した状況は、一億総中流の均質な家庭や郊外化した地域、画一的な教育の中で育った若者にとっては非常に新鮮に見えるし、それだけでなく、同調圧力の強い環境の中で感じていたストレスを解消する効果がある。高円寺に来て「こここそが私の街だ!」と直感して引っ越してきたという郊外や地方出身の若者に私は何度も会ったことがある。


高円寺は若者に人気の街の一つ


2)都市の記憶がある。

古い物から新しい物まで、異なる時代、異なる世代の異なる文化が重層的に存在し、町の中にそれらがモザイク的に見え隠れしているような都市が魅力を感じさせる。喫茶店に行けば戦前の文化人の雰囲気がある。古本屋に入ると戦後の左翼学生の名残がある。雑貨屋には60年代のヒッピーの流れがある。ライブハウスには80年代のパンクロックが今も息づいている。商店街には古いパン屋、豆腐屋、畳屋、葬儀屋などが残っている。そういう多様な時代の記憶がある。こういう多様で重層的な都市の記憶が郊外には期待すべくもない。
また、今、若者の中に、職住が一致した商店街や古い木造家屋のある街が好きだという声が高まっている。畳屋とか豆腐屋とか、働く人の姿が見えて、しかもそれが生活の場でもある、まさに生業(なりわい)の風景が若い世代の心を引きつけている。高円寺や吉祥寺や下北沢にも、そういう生業の風景が残っている。そして畳屋の隣に雑貨屋ができ、豆腐屋の隣にレコード屋ができる。都市の隙間に若者が入り込める、関与する余地がある。そしてそこに若者の新しい生業ができてゆくのだ。
 ちなみに東京では今建築のリノベーションがブームになってきている。ここでいうリノベーションは、古い中小オフィスビルを改装して住居にすることを指し、コンバージョンとも言われる。私の知り合いの建築家も最近はすっかりリノベーションに注力している。
彼が編集したリノベーション関連の本が「R THE TRANSFORMERS」だ。アメリカの各都市のリノベーションの実例を取材したものだ。
これは実は青山の人気家具店のイデーが進めているRプロジェクトのコンセプトブックである。Rプロジェクトではすでに西新橋の中古オフィスビルを住居に改装した物件「ROOP」をプロデュースするなど、積極的な活動を開始している。またイデーはすでにリノベーション専門の別会社をつくり、今後は中央区などを中心にリノベーション事業を本格的に進めるという。
こうした動きは、都市に対する関与の欲求が、すでに大きなビジネスになり始めていることを示している。新しいこぎれいなビルを造って、そのときの流行りの専門店を入れて買い物をするというだけの都市では、もう若者の欲求は満たしきれないのである。都市を「買う」「消費する」「所有する」のではなく、都市を「使う」「利用する」、そして都市に「関与する」ことが魅力となる時代になっているのだ。

3)歩ける街である。
高円寺、吉祥寺、下北沢といった街には、車があまり通らない。車の多い幹線道路は街の中心からはずれている。よって道は概して狭く、あまり都市計画されていないために、街路が入り組んでいるので、ラビリンス的な魅力を生み出している。こういう魅力は郊外のロードサイド空間には全くないものだ。
広い道を造って、その沿道に大きなショッピングセンターを作るのが都会的だと思うのは田舎者の発想、あるいは戦争に負けて何でもアメリカ風にするのがよいと思いこまされた敗戦トラウマ的な考え方だと思った方がよい。
 郊外に行くほど、そして地方に行くと、車がないと暮らせない。車があるから生活が便利になったことはたしかだが、車がないと暮らせない、通勤も、買い物も、遊びもできないと言うのでは、別の意味で生活が不便になったということであろう。
つまりこれも多様性の問題だ。マイカーが使えなければ、電車がある、バスがある、自転車がある、徒歩があるというリダンダンシーがあったほうが、生活者にとっては便利なはずである。そしてそれは、歩いて楽しい街、自転車に乗って楽しい街、電車で行くのに楽しい街といった、街の多様性を生むことにもなる。
他方、自動車という交通手段は街を作らない。人々は道から道へ移動し、道沿いの店に立ち寄るだけだから、店と店が有機的に結びついて、一つの街を形成するということがないのだ。だから郊外には茫洋と広がる空間しか生まれない。そもそも郊外型ショッピングセンターというのは街を作る気がない。売上が下がればすぐに店を畳んで、他の地域に移転してしまう。そしてそこには巨大な建物の抜け殻だけが残ることになるのだ。まったく無責任な話ではないか。
 こうした大量生産的で画一的な郊外開発への反省から、アメリカではこの20年ほどの間、ニューアーバニズムという新しい郊外開発手法(思想)が生まれてきていることは周知の事実だ。ニューアーバニズムによる住宅地開発のガイドラインは、自動車だけでなく電車を利用すること、ミクスド・ユース(複合的・混合的なな土地利用)、公共空間を重視すること、ヒューマンスケールであること、そして歩けることなどにあると言われる。*3 具体的には、ロードサイドの「ビッグボックス」と呼ばれる巨大ショッピングセンターに自動車で買い物に行かなくても、住宅地の中である程度の買い物ができるとか、住宅地の中に書店、カフェなどをもうけて人が自然に集まる場をつくるとか、住宅の敷地面積を狭くして住宅同士をある程度密集させて建てるとか、あるいはフットパス(路地)をつくって住宅地内の人通りを増やすといったことを通じて、従来の郊外住宅地にはない住民同士のコミュニケーションを促進し、コミュニティの力を再生しようという思想である。
郊外開発のパイオニアであるアメリカにおいてすら、というか、だからこそ、郊外の問題を指摘し、それを解決する街づくりがこの20年間模索されてきたのだ。ところが、日本ではこの20年に旧来のアメリカ型の郊外を日本中に開発してきた。その結果旧市街地は壊滅し、都市のコミュニティも農村のコミュニティも空洞化してしまったのである。まったく馬鹿な話である。
本来地方の都市は歩ける街だった。

4)個人的な店がある。
郊外にあるのは大量生産品を売る全国チェーン店だ。しかし若者が好む街にあるのは、そうしたチェーン店だけでなく、店のオーナーが好きで集めた物を、好きなように売っているような店が多い。彼らはただ物を売っているのではなく、自分の個性や価値観を売っているのだ。それが都市の魅力になるのである。
たとえば吉祥寺で言えば、駅北口のサンロードには、マクドナルド、マツモトキヨシなどのチェーン店ばかりが集まっている。こういう店は日本中にあるのだから、吉祥寺に個性にはならない。吉祥寺としての個性を感じさせる店は、駅前の闇市だったり、その闇市の中にできた新しいカフェであったり、東急百貨店の裏手に散在する個性的な雑貨店であったりする。そういう店があるからこそ、遠くからでも客が集まる。
こうした個人的な店の良さは、やはり関与である。客が店に関与する機会を提供できるという点である。よく言われるように、たとえば裏原宿のブティックの店長は、たとえばジーンズの本当の良さについて、いくらでも語るだけの知識と情熱を持っている。本当にジーンズが好きだからだ。そういう店長に魅力を感じて客が集まる。
逆に、たとえばマクドナルドの店長と客が本当のハンバーガーのおいしさとは何かについて口角泡を飛ばして話をすることなどありえない。チェーンストアには客が関与する楽しさは提供できないのだ。しかし郊外にはそういう店しかない。それが郊外全体を関与の余地のない、単調で退屈な空間にするのである。
渋谷109の人気がブティックの店員の人気に支えられていることもよく知られている。私は宇都宮で19歳のフリーターの女の子にインタビューをしたことがあるが、ちょうど宇都宮に109ができたときだったので、109に行くのか聞いてみた。ところが彼女は、宇都宮の109はつまらない、偽物だと言う。私も宇都宮の109を見たが、新しくてきれいでいい店だ。なのになぜ彼女はだめだというのか。彼女は、宇都宮109にはカリスマ店員がいない、カリスマ店員のいない109は109じゃないというのだ。店や物は輸入できても、人間は輸入できない。それは形だけの都市らしさを真似ることはできても、本当の都市の魅力をつくることにはならないということなのである。
 また、最近はスローフードが見直され、スローライフ、スロータウンなどという造語もできてきたが、流行語の常として、言葉の誤解がある。スローフードとは単にゆっくり食べるとか、ゆっくりつくるということではない。どこで誰が育てた食材を、どこでだれが料理したかがわかる、つまり関与のプロセスがすべて開示されているのがスローフードなのだ。京都がスローフードの都市といわれるのはまさにそのためだ。四季を通じて、どこの畑でとれた野菜、どこの海で捕れた魚を、だれがどうやって料理したかがすべてわかるからだ。それに対してファストフードはいったい誰がどこで作った素材を、どうやって輸入して、どうやって加工しているのか、まったくわからない。それが人々に不安を与えるのである。その伝で行けば、スロータウンとは、誰がどんな気持ちで物を作って売っているかが見える、関与のプロセスが見える街と定義できるであろう。個人的な店がたくさんあれば、必然的に街の雰囲気はスロータウン的になるのだ。
ちなみに汐留の再開発ビルの飲食店街もスロータウンがテーマらしいが、なぜかマクドナルドが一番入り口のところにテナントとして入っている。よほど物を考えない人がこの街を作ったのであろう。



4.地方都市の課題

地方都市はこの20年ほどの間に、東京的な商業環境を地方に作ろうとしてやっきになってきた。そのためには旧市街地を再開発するよりも、地価が安く、権利関係の単純な農地を買ってショッピングセンターを作るほうが簡単だった。そうして日本中の農地が開発されて、そこに道路ができ、道路に沿って商業ビルが林立した。その施設には東京ファッションを直輸入した店が入った。たしかに物という意味では、北海道でも九州でも東北でも四国でも、売っている物は東京とほとんど変わらなくなった。
だが、そこには大切なものが欠けていた。そこには都市がなかった。他方、かつての市街地はシャッター通りになっていた。古い建物や街路が整備されて、かえって味気ないものになり、かつての都市の記憶が消えた。
他方ロードサイドの商業施設には物はあるが、それは本当の意味で都市ではなかった。空間spaceはあるが居場所placeがないのだ。だから若者は居場所を求めて街に出る。家でも学校でもゲームセンターでもない、都市の隙間を求めて街をさまようのだ。*4
代官山でも原宿でも、インタビューで10人若者を捕まえれば、8人は東京以外から来ている。半数は千葉、埼玉ですらない。日本中から若者が集まっている。若者は何を求めているのか。それは物ではない。都市だ。多様で異質な人々が行き交う都市。そして店を作り、街を作る人の顔が見える都市だ。そこに彼らは居場所placeを求めるのだ。
かつて日本には小さいながらも、それなりの個性を持った多くの都市や農村が各地方にあった。それらの都市や農村には何百年という伝統があり、そこに商人がいて、職人がいて、顔の見える場所placeをつくっていたはずだ。
しかし今の地方には、郊外はあるが都市も農村は消えた。つくった方は都市をつくったと思っていたかもしれない。少なくとも、東京にある物を持ってきたとは思っていただろう。こぎれいなビルを造れば東京がやってくると思ったのだ。たしかに物は入ってきた。が、そこには都市はなかったのだ。


夜の吉祥寺駅前ではフリマがにぎわう。これも若者のplaceづくりのひとつ。

今や、ある意味で都市は東京にしかなくなった。都市とは、繰り返すように、多様で異質な物が混在した無数の場所placesの集まりであり、物の多様性だけではなく、人の生き方の多様性と自由を許容する。実はこの許容性が地方には足りないのではないか。特に九州のような保守的な土地柄ではその傾向が強いのではないかと思われる。
これは一例だが、私の知っている九州出身の中年男性サラリーマンは、新入社員の採用に当たり、自由な風土で知られる高校の出身者だからというだけの理由で、その学生を不合格にしたことがある。九州出身で東京の大学を出て地元のテレビ局に就職したが、九州の古さに耐えかねてまた東京に戻ったり、海外に留学したりした女性をわたしは二人も知っている。まさか九州の人がすべてそんなに保守的ではないだろうが、まあ、地方の大人というのは概してそういうものだ。少なくとも地方の若者はそう思っているのではないだろうか。そういう反都市的な価値観の人間が、土建予算を頼りに道路とショッピングセンターを郊外に作っても、所詮「ファスト風土」を増殖させるだけで、魅力的な都市ではできないのだ。
まずは異質なものの混在、多様性、自由を認めるという精神的な風土をつくること、ハード的には誰もが楽しくぶらぶらと歩ける街を作ること、若い人が低予算で出店できる店舗を中心市街地に多数提供すること、ソフト的には都市の記憶や生活感を活用、再生すること、フリマのようなイベントを随時開催することなどを通じて、地方の都市はようやく若者にとって魅力のあるものに再生することができるであろう。

*1 三浦展『マイホームレス・チャイルド』2001 クラブハウス
*2 同上
*3 Calthorpe,PeterモThe Next American MetropolisモPrinceton Architectual Press,1993
*4 宮台真司は、家でも学校でも遊び空間でもない都市の隙間空間を「第四空間」と名付けた。

写真はすべて筆者撮影。


福岡都市科学研究所「都市科学」2003年冬号掲載

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