カルチャースタディーズ概要
主要実績
発行資料
主宰者経歴
主な著書
culturestudies : diary
culturestudies : consumption
culturestudies : design marketing
culturestudies : youth
culturestudies : baby boomers
culturestudies : city
culturestudies : city
 
Tokyo Street File

What is culturestudies?

団塊世代003 集団就職

 団塊世代は、消費や流行風俗を担う世代であったが、他方では、まだまだ労働者の世代でもあった。大量の中卒や高卒の少年少女たちが、大都市に就職し、工場や商店で働いた、そういう世代である。
 たとえば「集団就職」という言葉は1954年に開始された「集団就職列車」から始まった言葉だ。集団就職列車とは、関係する県が企画し(62年からは交通公社が企画)、国鉄が協力した臨時列車で、少年たちを乗せると、途中駅には停まらずに目的地の大都市に直行した。労働省の統計によれば、集団就職者の数は団塊世代が中学校を卒業する時代にピークに達する。その数は63年が7万8千人、64年が7万6千人、65年が7万3千人。3年間の合計は約23万人である。
 時あたかも東京オリンピック前後の高度経済成長のまっただ中。労働省が中卒・高卒の労働者を「金の卵」と呼んだのも、64年のことであった。64年の新規高卒者の求人倍率は5.16倍、中卒者は3.41倍にもなっていた。しかし東京では高校、大学への進学率が上昇していた。1951年、東京都の高校進学率は51%だったが63年には80%を超えた。しかし、たとえば青森県では高校進学率が63年でもまだ51%。51年の東京都と同じだった。また、1951年には中学卒業者男子のうち23%が農業に就業していたが、64年にその数字はわずか2.4%になった。
 だが、地方に十分な就業先があったわけではなく、東京と地方の給与格差も大きかった。1960年の東京の中卒初任給を100とすると、東北では71。つまり、都市部の中卒者が高校進学率を高める一方で、地方の農村部の中卒者が、より高い賃金を求めて都市部に集まったのである。
 こうして東京には大量の若者が集まった。1955年に東京に住む15−19歳の人口は90万人弱だったのが、65年には130万人に急増した。同様に、20−24歳は102万人から158万人に増えており、15−24歳の合計では100万人近い増加をした。これは東京全体の増加人口の35%を占める。ちなみに15−34歳の増加数は東京全体の増加数の6割以上を占め、15−34歳の65年の人口は総人口の47%を占めた。いかに当時の東京に若い世代が大量に存在していたかがわかる。逆に言えば、1960年代に若者文化が圧倒的な力を持って台頭してきたのは、若者に内在的な力があったというよりは、そもそも人口の半数を若者が占めるという量のためであったと言える。
 さて、こうした若者たちは、一部の学生を別とすれば、すべて働いていた。しかしまだその生活は貧しく、多くの者は住み込みか寮生活をしていた。部屋にはラジオ以外、大した家財もない。洗濯機も、掃除機も、冷蔵庫も、テレビもない。もちろんマイカーを持つ者などない。つまり、若くて貧しい独身の労働者が大量に存在していたのだ。
 この若者たちが、いずれ結婚し、子供を産み、2DKの団地を求め、さらに郊外にマイホームを求める。その過程で、家電を買いそろえ、家具を買い、マイカーを買う。それによって企業は売上を伸ばし、社員の給料が上がり、社員はまた新しい物を買う。これこそが高度成長の魔法のような好循環のからくりだった。
 吉川洋東大経済学部教授も、人口増加率や労働力人口の増加率よりも、世帯数の増加率や三大都市圏への転入超過人口のほうが経済成長率と密接な関係を持つとかねてより指摘している。つまり、若くて「貧しい」「独身」の労働者が、「豊かな」「家庭」を持つ中流階級に上昇していくことこそが、高度経済成長を推進する力となったのである。
 
参考文献:加瀬和俊『集団就職の時代』、吉川洋『高度成長』、アクロス編集室『大いなる迷走』


baby boomers メニューへ戻る